主演舞台
『鬼のぬけがら』
全公演が終了しました。

追加公演を含む全公演、
素晴らしい盛況ぶりで、
なによりも、
公演がしっかりと観客の皆さんの胸に届いている事がわかって、
喜びが、
摩耗し切った体力を保管してもあまりあるくらいの充足感。

役に関しては、父親役。
とは言え、
父親として老けゆく前の、
まだ未熟だった時代の精神体、と言ったところでしょうか。
未熟が故に息子と離ればなれになり、
「鬼」となってしまうわけです。

当初、演出家からはピーターパンの役割と言い渡されました。
ただ、そうするにはあまりに、欠陥の多い人物で。
この人物が「飛ぶ」ためには、
どのような魔法が必要なんだろう?と考えた。
考えたけれど、考えた先に答えがあったわけではなくて、
相手役の手をひたすら握りしめているうちに、
あるとき、ハタとわかった、
みたいなところもありました。

役作りの過程としては、
結局、その人物が何を愛しているのかを見つけるまでが正念場で、
そこまで行き着けばそこから先は、
どんな声でも出るようになるし、
押さえきれない涙も、こらえきれない笑いも、自ずと生まれるようになる。
やっぱりどこか、
公演中に自分の体を役に乗っ取られていたようなところがあったようで、
千秋楽を明けた本日は、なんだか不思議な感覚。

座長として呼ばれた。

俳優として演技をするだけではない、
大きな緊張もありました。
フライヤーに顔がどーんと載ってるし、
公演の責任は自分にあると思っていた。

そもそもが主宰のキムラ真から、
「タッグを組みたい」と言う申し出だった。
自分に何が出来るのかを延々と考えた。

311。
物語りが扱うテーマのあまりの大きさに、
作品創りが芳しく進まない局面は何度もあって、
その度に、妥協をするか、粉砕覚悟で一歩踏み出すか、
座組は、何度も選択を迫られた。

(座組一同で、宮城県、荒浜に取材に行った)

自分の信じる物を、とことん信じ抜くと自分に誓った。

初日を開けるところを目標にしてはいけない、
絶対に、これは、意味のある作品にすべきだ。
公演のための作品創りをする意味は無い。
もっと、大きな、何かのために作品を創る、
そのために集まった。
そのためになら、なんだってする。

どのような公演になったかは、
劇場でのみなさんの反応、
ネット上での賞賛の嵐、
我々の手に残ったもの、
すべてから明らかな結果が出ているように思う。

そして、今回、共に闘えた仲間達の事を、
心から誇りに思う。

応援して下さったみなさん、
ご来場頂いた方も、そうではないかたも、
みんなおしなべて、
本当にありがとうございました。