なんだか目に映る世界がものすごく美しいことになっていて、試しに口述で台詞を吐いてみればもったいないくらいに美しく、ジョゼに向かえば最高のコラボができる。インターネットのことは愛しているか憎んでいるかで言えばむしろ後者に近いほうなのに、ふらっと仲間が公演について書いていることなんかを見つけては翼を得たような気持ちで幸せに打ち震える。芸術家らしからぬ告白をするのであれば、稽古場のホンを持っていくと兄や姉が喜んで褒めてくれる、と言うのはここ数年の間に手に入れ宝物のようにたささやかな原動力で、みんなを愛している限りいくらでも闘える自分がいたりもする。スタッフも待たせている。前回公演から10か月、出会う人出会う人に、自分たちがいかに才能があるかを語ってきた。プレッシャーでもあるけれど、それは幸福と同義語であるように思う。ついに証明の時が来た。

台詞を描き出す作業は、自分にとってはアドリブで一人芝居を延々演じ続けるのに似ている。重要なのは、それをやる前の構成だとか、筋立てだとか。こういう、数学的に頭を使うまでは作家さんの頭。そこから、台詞を紡ぐ作業は、どちらかと言えば詩人さんの作業になると思っていて、いま、ついに訪れた描き出しを前に膝が震える。二時間ほど、机に座って深呼吸を繰り返している。右脳と左脳が愛し合ったタイミングで本当に物語りが始まる。緊張するのに理由があるのは明白で、なにせ、何百年も残る可能性が極めて高い一言一言を、いま紡ごうとしている。それは神聖で繊細で、そして勇気のいる作業。しかしフと、1憶6000年前の恐竜を想う。彼らは、自分の骨が未来に残ると思って緊張をして生きただろうか。否。

えい、やあ、とう。
思い切り羽ばたく。いまの自分に必要なのは、その覚悟であると、ジョゼの前に座って息を呑む。