難しい立ち位置ダ。我々。


なんでもドラマにして、感動でおしまいにしちゃうテレビを俺は最近は好きではないのだけれど、たくさんの英雄たちが、今回の災害で現れた。

不謹慎なことを言うようだけれど、性善説支持にくじけそうになっていた人類には、素敵なことがたくさん起きたようにおもう。

身を挺して弱いものを助けた人間、自分にできる思いやりを精一杯にやり、日本中が、ときにはからまわることがあろうと東北にむけて何かをしようとした。


西日本で一生懸命節電をされたが「それは東には送れないよ!」と無駄になった電気たち、

電気は貯められないが、想いは残る、宇宙に残る、ステキに漂い続ける。


わけのわからないチェーンメール。

結果、だめだめだったにしても、誰もがうたがいながらも信じてみようとおもった。

だまされていいと思った。

それに、被災者を救う一縷の望みがあるならば。


自分の自転車で被災者に直接乗り込み、

けっきょく遭難して、忙しいさなかに自衛隊の手を煩わしたマヌケたち。

それでもあんたたちのしたことはキラキラだ。


あ、それはどうでもよくて、



再会の場面とか、

救助のときの話とか、

本人たちが顔を出して取材を受けているでしょ


これ、いいよね。

ステキ。

みんながちょっとずつ、元気になろうとしてる。

うれしいよ。


げんぱつ。

シビアな状況はまだ続いているはずで、闘ってくれているはず。


このひとたちの顔が出ないのはなぜだろう。


どこぞの炭鉱の救出劇なんかは、全員のキャラクターまで紹介されて、

国中が応援をした。


別にそこまでエンタメしろとは到底思わないけれど、


成功が確約されていないドラマには感情移入はさせないという意図なのか、

顔のみえないたくさんのひとたちが、

映画でしか見たことがないような決意のもとに奮闘している。

アルマゲドンもいいところだとおもう。


現在作業中の人とか、

毎回紹介すればいい。


その方が不幸にも事故に遭うかもしれないなか、闘ってくれている。

生がされている実感で、感謝できるとおもう。


もちろん、一歩間違えれば悪趣味だし、

本人たちがそれを 望まないこともあり得る。


でも、秘密裡に消えていくのも、不憫でならない。


「文字通り、命を懸けて!」

とテレビではいうけれど、ね。


ごめんなさい。

僕らの想像力は、ちょっぴり、長持ちしなくて、

恐怖心に負けて、ときに消失する。


エールをおくりたい、あたりまえに。


あとは、

いつまでも眉間にしわを寄せ続けるのはよくないし、

おれらは 

生きていくのが仕事、


その間違いない真理を支持するのと同時に、


のど元が過ぎてあっぱらぱーなのもまた違う、とおもっている。


今回のことでおもった。


たまたま国内でいま起きただけで、

けっこう、世界中を観たらば、

6秒にひとりは子供が餓死しているといたわけだ。ずーと。


知りつつ,

受け入れつつ、

それでも、下は向かない。


とても難しいのですね。


べつに俺には政治的思想はほぼないけれど、

どれだけの涙が流れているかぜんぶわかったら、

もう、原始人みたいな生活でいいやぁ

とそう思うかもわからない。


がんばってください。

心から。