末原拓馬の瞬く間

「撮ったよ!」と頂いた写真は片っ端から何かに使いたい。

ブログと言うのはそういう意味ではすこぶるよい感じだ。


路頭をラビリンスしきった行き場のない失業者たちがハローワークを訪れるがごとく、

「なんか撮っちゃった写真」たちは躊躇することなくサイバーに水泳るんららら。


上空は花火、地上は携帯の画面、

地球が包括的にキラキラするそんな時代のこんな季節だけど、


少女たちよ!


目視すべし!

携帯画面ではなくて、空ヲ見ロ!見上ゲロ!


どこへゆくのだその花火の写真は・・・!?



などと理論的には「なんでやねん!」的にズビシ!とやれる俺だけど、


情緒的には、彼女らの気持ちがよくわかる。

痛いほどよくわかる。

痛い!

イテテテテ!ちょ・・・痛いってば!


そう、痛いんだ。


「思い出?記憶?んー。まぁ基本的には消えていくもんでしょ?」


という、まぁ悔しいながらもどうしようもないからたくましく受け入れていた原始から揺るがなかった事実が、

なんだか最近は、


写真とか撮れてしまうものだから、


ナノメートルたりとも取りこぼさないように保存したくなる。


一生モンの名場面を撮り忘れた事実に、


俺らはなんだかいたたまれないほどに哀しい気持ちになる。

哀しい気持ちになって、

なって、

なるのに忙しくって、


なんだか思い出のほうはその忙しい熱で蒸発してゆく。



そんな気がする。

あっけらかんと生きてーな、おい。

お前もそう思うだろ。