レオナルドディカプリオの芝居が好きだ。

色気が挑発的と言うか、アンバランスさに強度がある、という魅力。

けれど、タイタニックでなぜかアイドル的売れ方をした彼は、なんか不幸だ。

イマイチ冗長な作品ばかりのスコセッシとはもう手を切ったらどうだろう?

なーんてみんなおもっておるのだろうに、

自分の感性を信じてか、変なのばっかにでてる。

そこもなんか、いい。


てのはどうでもよくて。


★相撲はもともとヤサグレたやんちゃたちがやってたんじゃなかろうか、とおもった。

裸で押し合いっこである。

喧嘩にしても他の追随を赦さぬほどに原始的で野蛮である。

「3歳からピアノをならってます!」とは違った風情が、そこには間違いなくある。


けれどアレだ、格闘技として盛んになった結果、国技になって、国に食わせてもらうとなると、

責任がでてくる。

看板を背負う、という、森ならばウルべーラなほどに重々しい事態である。

緊張する!

ただでさえ重い体に、日本だなんて思い事態を背負って、

一歩、二歩、さんぽ・・・・

散歩にしては、とおい、遥か彼方、ゴルゴダの丘。


だなんて、ホントは相撲には一切興味がない俺であるけれど。


ジャニスに「マリファナなんてけしからん!歌、辞めろ!」とは誰も言わなかったが、

コトミツキの野球賭博は、ドンガラガッシャンにレッドカード。一発退場である。


野球自体好きじゃない&お金にそこまで興味がない俺の目には、

その賭博自体がちょっとなんかダサいから、

ひらひら手を振りながらコトミツキの退場を見送るモチベーションの用意も十分にあるのだけれど、

判官びいきな自負にまかせて、なんかしっくりこないうところは吐露してみてる。


ようするに、「もっと崇高に相撲だけを愛していてほしい」という国民のフレームに入らなければならなかったんだろうとおもう。

ただ、あの体の大きさだもの。フレームに収まるのも一苦労だ。

無理なダイエットがちょっと心臓に負担で、それでもはみ出た部分はナイフで切り取ったという。

あわれやんちゃな相撲とり、失血死!


なんのこっちゃあ?


スポーツでも文化でも、本気でやっていれば、

そこになんか超常的な存在がいることはうすすみんな勘付くし、

たとえ手を合わせなかったにしても、タバコと酒におぼれていても、

神聖なるそいつへの尊敬はもってるとおもうのだけどなあ。

国技になっちゃったのだものね。

「国民の税金で食わせてもらってる」らしいから、じゃ、ま、しょうがないか。

俺は路上のお客様のお布施で食わせてもらってる。

背負った看板に何が書かれているのか、首を伸ばしても俺には見えない。


自由に縛られたボブディラン。

食べやすくなると、カートコバーンはライフルでトマトになってしまう。


これだから、難しいんだ、世の中ってば。

「ちょっといい話するやつ」のつもりがウッカリ十字架を背負うハメになったとき、

イエス様はなにを考えたのだろう。




おはようございます!


本日、野田マップ休演日☆

たくまは夜は下北沢で路上かな?なんて考えながら、

たまりにたまった仕事を優先していま奮闘中です。


今日も一日、幸せな日になりますように。