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ちいさいころ、やたらひたすら絵を書いた。表彰される系の、ハナモチならんガキだった。

ああ、素敵なこども。素敵に育つのもナットクがいくのである。
しっかし絵はいつでも暗い色彩で書いていた。

そこを“オトナッポイ”と先生が絶賛。

しかしアレだ。大人になれば誰でもたいていはオトナッポイになるので、 うーん、まあ、という感じだ。

ただ、“ッポイ”という、ひょっとするとゴミ箱に何かを投げ捨てんばかりのこの様子が、

“オトナ”との、些細ながらも重要なすみわけである。

オトナになっても“オトナッポイ”といわれるのは、“コドモッポイ”からなのか。

さてさて、画家になろうと本気でおもっていたお茶目な少年は、

いまでも、芝居にどこか暗さがある。 なんていわれる。

さて、ではその三つ子の魂的色彩感覚は、しかし、実は、その理由は、

もったいない病と忘れ物癖にある。

もったいないは絵の具を新しく使いたくない気持ち、

忘れ物癖というのは、
そのせいで、
図工室に放置された洗われていないパレットの絵の具を駆使して絵を描くことが多かったから。

そんなこんなで、油絵の具のようなエキセントリズムに憧れながらもイワサキチヒロな薫りを全身にまとった(ウヌボレ勘違い)ポイッと廃棄するよりされる側の生き物に育ちました。

ちなみに写真のパレットは15年くらい前のままのものかも知れなくて、

でもこの景色はよく覚えておるのでした。


ぽやぽや。


路上にでかけようとしていたら

雨が強く。

ぽやぽや。

一人所帯だから、予定の変更がしやすいのが珠に傷だ。