たった一晩の夜更かしで一週間を棒に振る、

そんな体質の俺であります。

なんなんだろ。


末っ子だから、すぐ「くーるーしーーよー」て言う癖があるだけかと思っていたのだけれど、

やっぱなんか、すぐにダメになる。ネムケがとれない。ネムケがムケない。

でもこれは、俺が痛みの多いタイプなのか、痛みに弱いタイプなのか。


うむ。


頭ってさ、基本的にある程度痛いものでしょ?それをどこから、「頭痛だわ!」ていうかってのは、

痛みは自分にしかわからないわけで、

どんなにボキャブラリーを駆使して、


「わたしの場合は天空からアルマゲドンが落下傘ビリッと破けて墜落するような様子で・・・・」

「オイラのはね、昆布とワカメとモズクと海ブドウと・・・」


なんて、こう、文学性たっぷりの説明で相手に我が頭痛の凄まじさを感覚的に共有してもらおうとも、


んー。わからん。

言ってしまえば“アルマゲドン”自体が、ひとによって違う。

そもそも、平成生まれたちにはそんなミレニアムな単語はもう通用しない。

なにそれ、吉野家のメニュー?なんて。



そう。

「他人にわたしの気持ちなんてわからないのよ」てヒロインぽい女は好きじゃないけれど、

実際、他人にいたみなんかわかりゃしない。

サンデグジュぺリとウィリアムシェイクスピアが言葉を尽くし合っても、ムリ。


痛いと感じたらい痛い、なんだよね。

飼ってた金魚が死んだだけでうつ病になる少年もいるし、

家族全員を失っても果敢に生きる少女もいる。


なんて、数行をかけてなぜかこんな話題になっていったけれど、

文章の書き始め的には、「なんか体調がわるいー、だからやさしくしてー」

てアピールしたかっただけ。

他人の痛みはやぱりみててつらい。一番つらい。アルマゲドンな頭痛よりも海ブドウよりも。

から、まわりを心配させないようにケラケラ生きようと決心したのでした。


さてちなみに、“棒に振る”の語源については・・・・


昔、棒手振(ぼうてふり)と呼ばれた商人がいた。
棒手振とは、店を構えることができなかった商人で、天秤棒をかついで売り歩いていたひとのこと。

どんなに良い商品を扱っていても、安く買い叩かれて、繁盛しなかった

そのため、いつまでたっても棒手振をやり続けなければならず

一生店を構えることができなかった

→結局、一生、天秤棒を振ることになってしまった
そこから転じて、「努力や苦心を無駄にする」という意味になった


あはは。

雑文だなぁ。


読んでくれてありがとう。


しあわせないちににになりますように。