縛られている。


いよいよ晩秋だなぁ

という、寒めの朝。やっぱりどうしても必然的に、人間は子ネコである。


今日もやっぱりぼくは、縛られている。ぐぅぅ、くるしいなぁ

たのしいと思ったから縛られ始めたのに、うぅ、なぁ


ジンクスのはなしである。


いろいろあるのだけど、ややこしいのでひとつ紹介すると、やっぱ


“台本にかかる際にはコーヒーを飲む”


がいまのぼくにはタイムリーで、あ、もちろんこのコーヒー、砂糖が大さじ3杯のカフェラテなんだけど、


なーんか。部屋で作業してて、ひとたび席を立つと、もう、戻るたびに煎れて飲んでしまう。

台所に立ち寄ると、煎れてしまう。煎れなくちゃならない。

それはそれは、ラッコが貝を叩き割らざるを得ないのと同レベルのマストぶり。

十字軍が人殺しをしなきゃならなかったのとおなじくらいのアブない使命感。


ジンクスはホラーである。


ジンクスの怖いところは、やらないと逆に失敗しそうなところである。

そもそも台本の調子なんて、集中の問題なところも少なからずあるから、

こういう、個人的なおまじないには積極的に参加していかないとどうしようもない。

ジンクスは町内会よりもシビアである。


でもそろそろ、徹夜でひきこもる時間の半分はコーヒーの時間な気がしてきた。

完全に盲目な錯乱の体の揺れに、お腹はタポタポ悲鳴を上げている。

新興宗教にハマって自滅する人なんて物語世界じゃよくでてくるけども、


イラッシャイと招き入れた神様がいつの間にかバチを当てる存在になってくるのとか、

んー、はたまた恋人の存在がいつしか厄介になっちゃう!だとか、


なんか、似ているところもあるのかな。さりげなく、不謹慎な発言もしてますけども。


要するに、人間は勝手に絡まる、自ら縛られる。

誰にも頼まれていないのに、この自発性だけは、スゴいよ先生はいたく感激しましたっ


暖炉のふもとで毛糸玉を転がすのは当初サイコーにエキサイティングだけれど、

気付くともう、動けない。絡まってルー!

ニャー

かわいいのだ。


そこはかとなく、子ネコである。