むかし、ウゴウゴルーガと言う番組が流行って、なかに、“ミカン星人”と言うキャラクターがいた。

その身の360°にミカン星人なる情緒をまとっていた、かの異星人は、人気高騰、小中学生界のペ・ヨンジュンだった。
(なんのこっちゃ)

そして、悲劇の転落が、起こる。
えっ、だ、誰に?
教頭先生に、だ。

“感動的です!”から“ウププっ”への、高低差あらたかな転落である。


卒業式。壇上。教頭先生。

真剣かつ優しい眼差し。ゆっくり開かれる口。

静けさに響き渡る、第一声。


「君たちは、まだまだミカンセイジンです。」


本人とて涙腺をパンツのゴムほどに弛ませ、タマサブローな素振りでチラっと全校生徒を覗いた教頭先生の流し目に映ったのは、

嵐!「ウププ」、の、嵐!

無論、教頭先生がおっしゃらんと意図したワードは「未完成人」なるものである。

恐るべしアルマゲドン、
モルダー捜査官も全裸で夜逃げするXファイル史上最強最悪の宇宙侵略である。

恐るべし、ミカン星!!

て、なんのこっちゃ。

“感性”についてとやかく言う人間が多いなぁ、と最近思うのである、からの脱線。

役者だろうが音楽家だろうが画家だろうが、彼らに内在する感性の質量や性質はナンピトにも計測不可能なのである。

から、やっぱ、どんな上下巻系であれ並列関係であれ、感性を採点してはならぬ。

と、思った。と言うか、みんな、ガラスなんだから。や、もはや、氷なんだから。

やたら批判狂な世代に、「ん?」。

未感性ではあっても、無感性はありえない。

「君たちはミカンセイジンです」がウププになる可能性さえある、世の中なのだから。