5月20日

永田さんとのコラボ写真集『粋様〜永田光枝コレクション〜』をステージナタリーとYahooニュースが記事に取り上げてくださった。ステージナタリーさん、過去にどれほどの記事でお世話になったのだろう。自分でも忘れてしまうような記憶が記録として残されていることに感謝を抱く。命の欠片を保存してもらっているような感覚だ。




さっそく永田さんに連絡してみたら大いに喜んでくれた。嬉しい。

 

「パターンナー」という言葉が衣装業界にはあるが、初めてそれを名乗ったのは永田さんなのだそうだ。山本寛斎氏が、永田さんをそう名付けたのだって。

 

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演出で入る『のだめカンタービレ』のストーリーパートのレコーディングに赴く日々。スタッフの方々から「監督」と呼ばれる。業界の違いだ。舞台における「監督」とは舞台監督という人であり、映画やアニメにおける「監督」は舞台業界では「演出」と呼ばれる。面白い。

 

前に何かの事件があったときに「◯◯という舞台の監督がわるいことした」とニュースになっていたけれど、これは本当は悪いことをしたのは演出家だったのだ。舞台監督の方、濡れ衣着せられてみたいになって不憫だな、などと思った。

 

のだめはアニメでもやってらした方々が今回も声を当ててくださるわけだけど、何年経とうともご自身の中にその役がいらっしゃるという感じがとても素敵だと思ったのでした。

 

松風雅也さんは『武士とジェントルマン』という舞台で演出して以来で、あれやこれやと雑談を久しぶりにして楽しかった。のだめカンタービレにまつわる様々な話を聞いて楽しむなどする。


関さんは『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』の朗読劇にでてくださって以来。その時はおじいちゃんと小学生の役だったわけだけど、なるほど、かっこいい役をやると本当にかっこいいんだなと仰天する(今さら)

 

5月22日

朝から有楽町で仕事。この街ではいつもほんとうにうまくやれなくて、絶対に迷う。駅から3分という目的地に20分もかけてたどり着いたという絶望。半泣きになりながら得意じゃない地図アプリなんかを見てみるのだけれど余計に迷う。余計に迷うがしかし、どうしようもない。スタッフと連絡を取り合い目印などを教えてもらいながらようやく辿り着く。半泣きで着いたけれどスタッフ10人ほどに囲まれてわいわいしているうちにとっても楽しい気持ちになる。

 

打ち合わせが終わってカフェを探すのだけれど見つからず1時間も歩き回る。最近気付いたが、カフェ探しが苦手だ。というか、独りで店に入るという習慣がほとんどないので、入ろうと思っても緊張して歩き続けてしまう。ましてや有楽町、やっぱりこの街は難しい。歩いているうちに有楽町と日比谷と銀座がごちゃまぜになっていて混乱する。あーもーやだと思っていたら、湯山玲子さんに会う。街で遭遇するのは2度目だ。なんでだ。不思議だ。まあこのために1時間もカフェが見つからなかったのかと思ってみたりする。

 

玲子さんは一昨年パシフィックフィルハーモニア東京との最高に楽しい仕事を繋いでくださった方である。フルオーケストラと共に様々な県の小中学校を回った。

僕はビョノと言う名前の音楽の妖精として、独り芝居形式で演奏会を進行していくというやつなんだけど、こどもたちと大騒ぎする日々は楽しすぎた。「ロックコンサートのようなクラシックコンサートでした」と標をもらえて嬉しかった。一生あれをやって生きてくでもいいなとちょっと思ったくらいだ。

それにしても、当時は想像だにしていなかったけれど、このオーケストラと過ごした日々が多少なりとも「のだめカンタービレ」に活きてくるのだから、人生わからないもんだ。

 

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 永田さんと電話。ほとんど毎日話している。「げんき?」と訪ねてみるんだが「最悪!!全身痛いし眠れない!!」と元気に返事してくれるから助かる。「あんまり先が長くはないんだけどつまんないからリハビリするわ〜」と言われて笑う。動かないではいられない人間なのに寝たきりで我慢がならないらしい。「運命だから仕方ないんだけどね〜」なんて言いながら笑う声に元気になってしまう。独り芝居の衣装を創ってくれとせがんでいるが鉛筆が持てないらしい。

 


今年はなんだかどの町にいてもドクダミをたくさん目撃する。体に良いからとしきりにドクダミ茶を飲ませてくれたじいちゃんを懐かしんでみたり。ドクダミと言う名前の主人公の物語を描こうと思ったり。


深夜に何かを投稿して翌朝覚えてなくて慌てて消すということよくあって恥ずかしいのだけど、この夜は短歌を詠んでた。消してはみたものの後で見返したら別に消されるほどの罪は犯していない短歌だった。スクショしておいてよかった。


「音として光としては消えたとて生まれたわたしの永久(とわ)の輝き」


自分のものではない猫に見惚れて話しかけてはみるもののどんなに仲よかろうと遠いけど、未来など考えなければ完璧な時間。


おぼんろ次回本公演の打ち合わせ。カメラマンの家でワンを抱く。


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今日もあなたが幸せでありますように。

なんか、なんとなく

今日こそがついに今日だ!と毎日あなたが思えますように。


8月15日

押しも押されぬ締切三昧の日々。焦りすぎるのだけれど、焦っても仕事は早くならないのは知っているから冷静にいられるようにしている。ただ、馬鹿だからリラックスしすぎるとピアノとカズーか粘土か絵に手を出してしまう。

 

祈りが必要ではある日々で、そもそも、祈るための能力が「作品創り」である。でも、仕事も「作品創り」をすることである。割り切らずにいたい。


8月16日

夢の出口あたりから、なぞの胃の痛さ!なんだろう。目覚めても痛かった。

 

打ち合わせ2件の日と思っていたら3件の日だった。忘れていたのである。本日の打ち合わせについてですが・・・という連絡が来てぎゃ!となった。そしてダブルブッキングだった。一瞬、地球の外に逃げ出せないかとさえ思ったけれど、スペースシャトルなど入手できるはずもなく、仕方ないので双方に正直に話して、大急ぎでやって、大急ぎで走った。


あ、でもネズミは目撃。

さすが新宿。


夜、まさか仕事関係で行った大勢(音楽関係者ふくむ)の前でカズーを演奏し喝采をもらうという機会に恵まれる。「なんでポケット入ってるの!?」と言われたが、入っているのである。カズーの存在を知らない人もその場には数多くいて、その場でネット検索して購入を検討する人たちもたくさんいた。カズーが褒められて嬉しかった。

 

8月17日

友達が死んだ日である。命日にくらい本腰いれて思い出してやらないとなどと思い吹原幸太のことを思い出す。誕生日は知らない気がする。あっちがどうにもコメディのひとなんで、努めて不謹慎に彼のことを思い出したい。


5年も経ったのである。はやい。「吹原幸太が急逝しました」みたいなツイートが彼の劇団公式アカウントでツイートされたのをみたとき、まず怒ったのを覚えている。「ブラックジョークでも、やってはいけないジョークってのがあるんだぞ!」と。

 

ゴリゴリの真実だった。

 

「人は忘れられたときに本当に死ぬんだぜ」、なんて小粋な概念を耳にしたことがあるけれど、まあ、そのあたりは別に気をつけなくても彼の場合忘れられたいと願ったとしても忘れてもらえられないだろうなと思う。まあでも、油断はせず、なんなら新たに、彼を知らぬ人にさえもなんとなく名前くらいは知ってもらいたい気持ちなんてあったりする。

 

ポップンマッシュルームチキン野郎という劇団の親分をやってた男だ。何年だか前にエンタメ系小劇場界という狭い狭い世界では新進気鋭の大天才同士だった我々は妙な心の絆で結ばれていた。劇団主宰、俳優、演出、脚本家という共通点を持つ者はなかなかゴロゴロ転がってはいないもので、作風はまったく違うのだけれど、盟友と思うには余りある理由があったのだ。

 

・・・ちゃんと紹介するのも面倒なので、ウィキペディアを貼り付けるという効率的なことをしてみたりする。

 

 

おぉ・・・こうやってみると、めちゃくちゃ仕事してたんだな・・・。ほんのすこし年上だとおもっていたけれどもうあの頃のフッキーさんより今の自分のほうが年上なのだという感覚はちょっぴり不思議である。そもそも相手との年齢の上下なるものをまったく気にしないで生きてはいるのだけれど、仕事の上では追い越してやるぜ、みたいに思う人ではあった。勝ち逃げされたという感じである。これから自分はずっと年下を追い越したいと思って生きていくのか。

 

一緒に演劇祭をやったこともあるし、向こうの劇団のイベントや公演ゲスト、配信なんかによく呼んでもらった。ちゃんと下品なギャグなんかもする劇団で、言うてしまえばだいぶ芸風が違う。呼ばれていくとバラエティ風の企画をたくさんやらされてしまうのであり、そしてそういうものはあまり好きじゃない人生なのだけれど、吹原幸太とじゃれにいきたい一心でいつも現場に向かった。呼ばれて断ったことはないと思う。

 

Twitterで、常にお互いの動向を知っている、というような間柄だった。明け方4時や5時に仕事の手を止めてTwitterを開いてみると、あっちもなんだかくだらないことを呟いたりしている。そんなときは、なぜか返信し合ったりしていた。どうでもよすぎるやりとりだ。スマホも持ってなかったからLINEもやってなかったし、これがメインのコミュニケーションだったとも言える。あー、あっちも明け方までがんばってるんだな、と、そう感じるのが好きだった。こうやって何十年も、並走しながら生きていくんだろうな、なんて思っていた。


話したいものだ。よしときゃいいのに、そんなことを考えだしてしまうと本当に話したくてたまらなくなる。2人芝居とかやりたかったな。ちゃんと律儀に、いまでも不定期で思い出しては涙が止まらなくなる。これからも思い出す。


 

 

 

 

 

 

 

 


あ、この感情忘れたくないな!みたいなことがたまにはあるもので、そんな日々のよしなしごとを備忘録的に綴っておきたいなと思いブログを描こうと思う。


のだけれど、描きかけて更新にまで至ってないブログ下書きがありすぎて躊躇する。


年末に「2024年にやった仕事のまとめ」という壮大なブログを書いていたのだけれど、それも更新まだ辿り着かずそのままだ。そして1月から4月に起きたことを日々綴っていた描きかけもあるんだけど、そのまんまだ。

 

まあいいや、それはいつか投稿するとして、なんだか今は今起きていることを記す。思い切ったとってもかっこいい決断である。

 

 

8月6日

携帯電話の会社から速度制限の連絡がきた!!!

まだ6日なのに!そしてそんなに使ってないのに!

 

半年くらいずっとこんな塩梅なのだ。明らかに何かしらのトラブルが起きていることは間違いないのに、電話屋さんにいくのがおっくうでずっと放っておいてる。


そもそもいきなり電源が切れて眠ってしまったり、カメラも割れているから、周りのスタッフからも「お願いだから新しいのに買い替えて!」と言われている、これは一年以上言われている気もする。仕事の資料のほとんどがスマホでみれないと困るというのに・・・こんなに、こんなに困っているのに、あぁ、おっくう、てすごい。億劫。億だもんな・・・千や万じゃないんだ仕方ない

 

8月7日

数日前、たまたまカズー(楽器)の宣伝広告がSNSで現れて、それがあまりに素敵に思えた。


でも簡単には買わない。通販てほとんどしないから怖いってのが実は主な理由でもあるんだけど、僕はとにかく買い物というものに対して臆病だ。


ましてや楽器、一度仲間になったらよほどのことがない限り生涯ずっと一緒にいることになる。カズー自体は決して高いものじゃなくて、数百円で買えちゃったりするのだけど、それでも悩む。このときは、いったん踏みとどまった。

 

ネット広告、あれって、一度でもクリックするとだめなんですね・・・その日から、パソコンで仕事をしようとするだけでも何度も何度もおすすめしてくる。よし、商売道具なのだし、買うか!とサイトに飛んでみる。外国のサイトらしく、45ドルだったかな、日本円にして7000円くらいだった。7000円のカズー!!??? 

 

ただ、わからなくもないのだ。広告動画で演奏されるそのカズーの音色は、これまでに聴いたどれとも違いすぎる音で、もうほとんどサックスだった。これはとっても特別なカズーだから、それくらいの値段がしてもおかしくないのかも知れない。ただ、あまりに音が良すぎるから、ちょっと怖くなってきた。


これ、もしかしてふつうにサックスの音じゃない・・・? 考えてみたら、動画だから編集で音をすり替えることなんてなんとでもなるのである。人を疑うことは嫌いなのだけれど、一応と思い、それで、そのメーカーのカズーの名前で調べたら他の動画出てこないかなとおもって調べてみた。のだけど、どこにも動画がない。えええぇぇぇぇ

 

それともう一つ気になったことがある。もしかしてカズーそのもののが名器というのではなく、演奏者がとてつもない技巧の持ち主なのかも知れない。

 

て言うか、悩みすぎて頭痛くなってきた。


吹いてみたい。とりあえず、どんなカズーでもいいから吹いてみたい!

悩み倒して、楽器屋さんにいくことに。

 

買った!!!!!



木製のをと思ったけれど、アルミのしかなかったのでまずはそれを。

 

最高!!!!!!


ものすごく気に入って、時間を忘れてずっと吹き続けた。

時間を忘れすぎて打ち合わせに30分遅刻するという失態も犯した。

もちろん、「カズー吹いてて遅れました」とは言えない。甘んじて怒られた。

 

 

ああ、この調子だと他の種類のカズーも買ってしまうのだろうな。。。

でもとりあえず、この第一号を親友と任命し、行動をともにしている。

 

そしていまだに、あのサイトのカズーが気になっている。

 

※後日談だけれど、そのサイトを知人スタッフに見せたところ「あ、これ詐欺サイトですよ」とあっさり言われた。危なかった!!!

 



8月12日

劇団員みんなで永田さんに会いに行く。

思えば13年来の仲だ。


癌の闘病中で入院しているってんでちょっくら遊びに行こう!ってんで劇団員みんなで最寄りの駅に集合ってことになったのだけれど、めぐみさんは純粋な5分遅れ。りんちゃんとさひがしさんは、同じ駅名だけど線が違う駅に行ってしまい、遅れ。俺は名前の違う駅にいて遅れ。全員揃ったのは集合時間の40分後という有り様だった。シッカリシロ!


永田さんと、写真家の麻旅子さんと写真集を出すことにしている。

芝居を除く世界の殆どのことをよくわからないで生きているもので、当然病気のこともよくわからない。

こんなときにテンパって毎日を悲しみ色に染めてしまうのはトンマのやる愚の骨頂だと父のときも思ったもので、いまはとりあえず、遊べるだけ遊ぼうってことに徹してる。病気ごときで不幸になってたら人間生まれてくるだけ損ということになる。こう言っちゃなんだが、へっちゃらである。


ゲラゲラと大笑いで喋り続けて解散!

それにしても永田光枝はかっこよくて粋な人間である。


『ビョードロ』という公演で初めて一緒にやったんだけれど、娘さんたちと手作りの本格カレーを創ってきてくれた。みんなが辛い辛い!と大喜びで食べている中、「たくまくんはこっち」とヨーグルト入りの辛くないカレーをくれた。わざわざ用意してくれたのである。依頼、なんか本格っぽいカレーの看板とかを見ると永田さんを思い出す。いや、どうでもいい話すぎるか。

 そのあと数時間りんちゃんと散歩した。久しぶりで超楽しかったけどりんちゃん千葉に帰ろうとして寝過ごしてなぜか高尾に行きついてしまい、仕方がないから明け方に高尾山登って帰ってきたって。へんすぎる。

 



ポケットに何でもかんでも突っ込んでる。

 

ノート、ペン、鉛筆、お金、石(どうも夜中に気に入った石を拾っているらしい)、楽器、石筆、などなど。日による。カバンもカバンで大きいのだけど、ポッケには、なんだかすぐ取り出せたらいいものというか、相棒と呼べそうなものが入りがちだ。

 

なんだけど、何が入ってるかをぜんぶ把握しているかというとそうでもない。夜は道端に座っていることが多いのだけど、ドサクサに紛れてけっこういろいろ落としているような気がする。

 

もしかしたら落としたことにすら気づいていないものもたくさんあると思うのだが、いつ入れたのかも、存在すらも忘れかけてる大切なそのそれが、「大切なものがポッケにはいっているんだ」という安心でもって自分を守ってくれてる気がする。ポッケに夢詰め込んで、なんていうけれど、そのメリットは、無くしても気づかないことなのかもしれない。

 

ちなみに、この前は買い物でお金を支払おうとしてポッケを探ったら小石と小銭が一緒に手のひらに乗って、「同列なんですね。ちなみに狐か狸じゃありませんよね」なんて小粋なことを言われた。

 

5月14日

目覚めたら目がひどい腫れ方!

泣き腫らしたせいなのか、お酒にむくんだのか、汚い手でこすったバチがあたってのものもらいなのか。思い当たるフシがありすぎてまぶたに申し訳が立たない。それにしても一年の何割かはまぶたにトラブルが起きてる気がする。俳優のくせに顔に事件が起きがちだなんて、同業者の風上にも置けない!バカ!

 

そんなことより今日はねねの誕生日。ちいさい頃から何をプレゼントするか毎年とっても悩んできた。アクセサリーとか服、ぬいぐるみ、絵本、小物......様々なものを探し回ってプレゼントしてきたけど、大人になるとなかなか、難しい。おとなになってからのいつだったか、物語をプレゼントしたことがあって、後にも先にも一番喜んでくれたのはそれだった気がする。

 



おぼんろ第27回本公演の打ち合わせ。本多劇場だ。

「下北沢でだんだん大きな劇場に進出する」という小劇場すごろくという夢からまったく無縁でやってきたおぼんろだが、あるとき急に本多でやろう!と思い立ったのだ。さひがしさんとめぐみさんへのプレゼントという意味合いも実はつよい。

 

それにしても、第26回本公演の執筆やら何やらが大変だってときに、その次の公演の打ち合わせだなんて・・・そして帰り道には制作とそのまた次の公演の話もした。山積みの宿題に終止符を打たぬまま、次から次に新しい作品の宿題が増える。いいことだ。がんばれ未来の末原くん。

 



恵比寿でドイツ在住のトルコ人に道を聞かれる。押しも押されぬ方向音痴だからドキドキしながら道案内をする。これだけ迷子になりやすいわけだから口頭での説明は自信がなく、こういうときはたいてい一緒に現地まで行く。ずっと前に新宿で道案内をしたもののたどり着けず、アメリカからきた男性と30分散歩をしただけになってしまったこともあった。昨日はふつうに成功。よかった。

 

どうやら外国のひとから話しかけやすい雰囲気を放っているらしく、驚くことなかれ、この前の『オリーブのたね』が終わってから今日までの二週間くらいで、街なかで外国の人に話しかけられるのは8人目だ。「おすすめの店ありますか?」「この機械どうやってつかうの?」「日比谷線はどこ?」「ここにいきたいんだけど・・・」「何飲んでるの?」「一緒に写真撮っていい?」この前なんかなぜか下北沢で缶のハイボールを買ってもらってしまった。ひととして、フリーコンテンツな感じがするのかも知れない。

 

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今読み返して気づいたけど、なんで日付が8月なんだろう。5月である。

記念に、そのままにしておく。

 

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あなたがしあわせでありますように。

なんだかとてもとてもそんなことをおもいます。

 

いろんなことがあるし、

あるからこそいいんだし、

あるからこそいやなんだけれど、

 

そういうのぜんぶまるごと、

いいことだったとあなたがおもえますように。

 

あなたがこれまでどおりでいられますように。

 

でも、あなたがあたらしいあなたになることをあなたがこわがらないでもいられますように。

 

どんなあなたでもいいから、あなたがしあわせでいられますように。