世の中、否定的な意見をまっすぐ通すって言うのは難しい。
なぜならば、否定された側は自分を否定されたような気がして、あまり受け入れたくないからだ。
けれども、ネットの世界は否定の世界。
肯定ばかりではいられない。
どこかで必ず否定される。
無視してもいいけれども、説得力があったり、多くの人が納得するような否定であれば、受け入れて自分を成長させるのはどうだろう?
とはいえ、否定する方法と言うのはかなり難しい。
けれども、正しく否定する法則って言うのはありそうな気がする。
自分の思いついたものを下にメモ程度に書いておく。
第一に、自分の意見に矛盾がないことを確認しなければならない。
感情的であると、ここであっという間に看破される。
無視されてしまう材料だ。
第二に、例を上げることができること。
正解を示すものでもいいし、間違いを指し示すものでも構わないと思う。
第三に、自分の否定意見にルールがあること。
~であるから~である、と、自分の前提を理解してもらうことが、相手に論理的に考えてもらうためのきっかけになる。
そうなれば、無駄ないい争いにも多少なりにくくなるし。
そこ否定されたらもうダメになるけど。
で、なんでこんなことを考えたかと言うと・・・
最近、クソゲーwikiと言うのを熟読していた。
スペランカーや、コンボイの謎をクソゲーとは全く思っておらず、とんでもない労力を使ってクリアしていたりした。
スパルタンXだって、覚えているだけなら20周クリアと化していた。
マリオランドも、三周クリアしたら電池が切れるまでゲームボーイで遊び続けた。
もったいなかったから。
そんなわけで、自分にとってクソゲーと言うのは敷居が高いのだけれども、間違いなく存在する。
そういったものはどういうものなのか・・・それを論理的にまとめようとしているのが、クソゲーwiki。
残念ながら、コンボイの謎は普通にクソゲーとして評価されているが、スペランカーは名作扱いだったりする。
それに至るまでの論理方法が、実に興味深いのだ。
なので、その根底となる話し合いの場をのぞいてみたのだけれども・・・
面白いなぁ。
様々な意見が飛び交うこの掲示板は、普通に読み物として価値がある気がする。
まあ、荒れたりもするけど。
最近は記事の仕分けの意見交換がされているのだけれども、これが一番素晴らしいと思った。
最初から見ていくと、どうやって否定を正しく評価していくかという論理が積み上がっている。
これが実に興味深い。
かなり長いスレッドになっているので読むのは大変だろうけど、興味ある人は見るといいかもしれない。
まあ、好きなゲームがクソゲーにされていたり、嫌いなゲームがクソゲーにされていなかったりして頭に血が上る人は見ない方がいいかもしれない。
こうして、人の論理は洗練されていくんだな・・・
あ、まじめに言っていたけどせっかくなので。
「こんな論理で大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
「神は言っている。そこが問題であると」