お盆の思い出 | ブドリの森

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将来の自分のための備忘録
ハンドメイドの小物は委託販売しています
いただき物の生地や付属品を活用して
極力材料費をかけずに仕上げるか苦戦中
たまにペットのインコの話も

 

東日本大震災前のお盆は、ほぼ旦那の実家に行っていた。

 

私は三男の嫁だったけど、長男の兄嫁は仕事があり、

 

次男の兄嫁は東京なので、お盆の時期には帰省しなかった。

 

義実家は車で2時間弱、小さいながらも一応本家なので

 

親戚・知り合い・兄の同級生まで(笑)etc.…

 

人の出入りが多く、台所が大変だった。

 

姑一人で大変だろうと手伝っているうちにアテにされるように。

 

その頃「かすぎ」と呼ばれたが、どういう意味なんだろう。

 

今更ながらググると「炊き(かしき)は飯を炊く人」だった。(笑)

 

 

 

 

姑と一緒に台所に立って、いろいろ教えてもらいながら

 

お盆の料理を作ったり、子どもたちの分や夜は宴会の支度…

 

酔っ払いに〆のご飯を出し、後片付けが終わるのは夜中。

 

それだけでなく、14、15日は早朝のお墓参りを済まして

 

集まって来る親戚に朝食を提供していた。

 

市内に住んでいる叔父たち、義叔母たち、

 

従兄弟たち、その妻や子どもたち…多い時で20人ほど。


自分の子ども達や義兄の家族も含めて、てんやわんやだったけど

 

叔父さんや叔母さん達の思い出話を聞くのが楽しかった。

 

その時に教えてもらったのが郷土料理のあずきばっとう

 

 

 

 

粒あんのお汁粉にほうとうを入れて煮込んだもの 下矢印

 

美味しいんだな、これが。

 

ばあちゃんのレシピでは、小麦粉にもち粉を混ぜて熱湯で練る。

 

 

 

 

今、思うと本当に忙しかったけど、

 

右も左も分からない私に、姑が仕込んでくれたんだなぁ。

 

2007年に舅(じいちゃん)が亡くなり、姑一人になって

 

お盆の手伝いがますます必要になったが、2011年の震災後、

 

姑は認知症が進んで施設に入所することになった。

 

 

忙しい合間に子どもたちと海へ 昔むかし

 

 

その頃から私の方も身体症状症が悪化し、長距離の移動や

 

人の大勢いる にぎやかな所にはいられなくなったため

 

お盆の手伝いはおろか、義実家にもご無沙汰している。

 

コロナ前に姑の施設を訪ねた時、すっかり小さくなった姑が

 

私の顔をしげしげと見て「この人は覚えった」と言った。

 

じいちゃんがいて、ばあちゃんがいて、

 

孫たちがワヤワヤしてたあの頃が懐かしく思えるのは

 

年を取った証拠だべなー。