「大草原の小さな家」から家族考 | ブドリの森

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この前、Gaoで「大草原の小さな家」を観だったけんど

超懐かしがった~。 (≡゚∀゚≡)b

おらはこのドラマが大好きで、原作も全部読んだよ。

自分もいつかこんな家庭を持でだらいいなぁと あこがれだった。





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何でがというと、父さんが何でも話を聴いてくれるべ。

おらの家族もいい家族だったよ。

ほんでも父親とはギャップがあって、あんなに馴れ馴れしぐ出来ながった。

当時の父親ってのは どごも同じだど思うけんど、

アメリカン・ダディーと戦前生まれの日本男児とはかなり違った。(笑)

ローラやメアリーが うらやましかった。

あれほどでなくてもいいがら、少しは父と話が出来だらいいなって。




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というのも、

父はおらが小学校に上がるまで船に乗ってで 家にいなかったがら、

子ども達が なつかず、どう接したらいいか悩んだらしい。

おらの方もどう甘えたらいいのかも分からないし、

いっつも怒られてばっかりで、(確かに怒られるようなこどばっかりしてたんだが)

父がおっかなくて(怖くて) 常に上目遣いで 顔色をうかがうような

ひとっつもめんこくない子どもだったと思う。

だがら心通うコミュニケーションなんてした記憶がない。(笑)





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それから姉と二人姉妹だったから、親は 姉には「あんだは家娘だがらな」

おらには「あんだは家を出で行ぐ人だがらな」と口癖のように言った。

自立させるための 一種のマインドコントロールだべが、淋しがったよ。

親を思わない子はいない。  誰が残ってもいいべ。

心の中に 常に家族とのすごい隔たりというか疎外感があって、

言われるたびに いっつも涙をいっぱいためてだった。




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14年前の父の葬式の時には わんわんと泣いだった。

父を失ったという悲しみもあったけんど、 

「孫たちを可愛がる優しいじいちゃん」だったという言葉を聞いて

「ソレ」を得られなかったのはおらだけじゃんってね。(爆)


今のお父さんたちはフレンドリーで子どもと接するけど、

照れないで もっともっと言葉や態度で表現した方がいいど。

アメリカン・ダディーに負げねでな。





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おらも結婚して3人の子どもに恵まれて頑張って育てたけんど、

結論としては ローラの家族みたいにはなれながった。

おらがローラの母さんってガラでもないし。(爆)


子どもらが小さい時はそれなりに仲が良くて賑やかだったけど、

娘がいなくなったらまるでお通夜だ。

旦那も息子たちも話しかけても返事もしない。(笑)





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ほんでも 今になると親の気持ちがよく分かるんだな。

父と母のあの時のあの言葉、あの表情が愛情だったんだなと。

思い出のカケラをひとつづつ拾い集めて 心の宝箱にしまってんだゎ。

これだけは誰にも教えないっすよ。

自分だけの大切な宝物だし、話せばまだわんわんと泣いてしまうがら。(爆)