「十いくつかの夜とひる」 | ブドリの森

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       「十いくつかの夜とひる」           
                                宮澤賢治 (補遺詩篇 Ⅱより)
                                    
 
 
 
 
                
 
 
                  
 
 
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     十いくつかの夜とひる

  患んでもだえていた間

  寒くあかるい空気のなかで

  千の芝罘(チーフー)白菜は

  はじけるまでの砲弾になり

  包頭連(ほうとうれん)の七百は
 
  立派なパンの形になった
 
 
 
 
 
 
 イメージ 1
 
  ああひっそりとしたこの霜の国
 
  ひっそりとしたすぎなや霜
 
  しかも向こうでは川がときどき
 
  不定な湯気をあちらこちらで爆発させ
   
残丘(モナドノック)の一列も
 
雪を冠って青ぞらに立つ
 
 
 
 
 
 
 
 
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  病んでいても
 
  あるいは死んでしまっても
 
  こういう風に川はきれいに流れるのだ
 
  白菜の縮れた葉脈の間には
 
  氷の粒がはまっていて
 
  緑いろした鎧(よろい)の片のようである
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今では冬野菜の代表選手の白菜だが 日本での歴史は意外と浅く、
 
種が持ち込まれたのは明治末期だそうだ。
 
賢治が植えた白菜の苗は 当時としては珍しく貴重な作物で
 
おそらく病の床にあっても 白菜の生長が気がかりだったろう。
 
病み上がりに見た 立派に生長した収穫間近かの白菜を
 
砲弾パンに例えて その喜びを表現している。
 
 
 
昨年、この作品に出てくる白菜の同系統の「仙台白菜」
 
仙台、塩釜、花巻の3つの小学校が共同して、賢治先生の「下の畑」に植えた。
 
賢治は 自分がもし、死んでしまっても 自然は変わらないと言ったが、
 
没後80年の今でも、賢治が丹精込めて耕した下の畑に 白菜畑を再現しようと
 
岩手・宮城の学校を中心に 約60団体が協力している。
 
 
  賢治が縁、児童の輪 白菜の苗植えで地域づくり