「ふん。こいつらがざわざわざわざわ言っていたのは、
ほんの昨日のようだったがなあ。
大抵 雪に 潰 ( つぶ ) されてしまったんだな。」
それから若い 木霊 ( こだま ) は、明るい枯草の丘の間を歩いて行きました。

丘の 窪 ( くぼ ) みや 皺 ( しわ ) に、一きれ二きれの消え残りの雪が、
まっしろにかがやいております。
木霊はそらを見ました。
そのすきとおるまっさおの空で、
かすかにかすかにふるえているものがありました。

若い木霊はそっちへ行って高く 叫 びました。
「おおい。まだねてるのかい。
もう春だぞ、出て来いよ。 おい。
ねぼうだなあ、おおい。」

その窪地はふくふくした 苔 ( こけ ) に 覆 ( おお ) われ、
ところどころ やさしいかたくりの花が咲いていました。
若い木だまには そのうすむらさきの立派な花は
ふらふら うすぐろく ひらめくだけで はっきり見えませんでした。
また消えて行く 紫色のあやしい文字を読みました。

「はるだ、はるだ、はるの日がきた、」
字は一つずつ生きて息をついて、
消えてはあらわれ、あらわれては又消えました。
「そらでも、つちでも、くさのうえでも
いちめんいちめん、ももいろの火がもえている。」
宮沢賢治 「若い木霊」より
昨日は 季節はずれの吹雪に見舞われた岩手でしたが、
それでも 窪地では やさしいかたくりの花が 冷たい風にふるえていました。
「春だ、春だ、春の日がきた」
かたくりの葉の上にあらわれる あやしい文字を読みながら
若い木霊とともに 遅い春のおとずれをよろこんで来ました。