3・11 教訓
教師の機転で山へ避難 (陸前高田市気仙小学校)
2012・10・1付 岩手日報より
昨年3月11日午後2時46分、陸前高田市気仙町の気仙小の校長だった
菅野祥一郎さん(61)=現市教委教育相談員=は用事で立ち寄った市街地
の知人宅で激しい揺れに遭遇した。
「子どもたちは大丈夫か」。
2日前の津波注意報を思い出しながら車で学校へ急いだ。
市街地から見て 気仙川の向こうにある学校には 児童92人と 自分を含め
教職員14人が在籍していた。
気仙川を渡る最短ルートの姉歯橋では消防団員が通行規制をしていた。
菅野さんは さらに上流の橋を渡り、避難のため 内陸に向う車を見ながら
学校に着いた。
地震から30分が経過していた。
気仙小は地域の避難場所だった。
校庭には住民が集まり、児童は校舎から出て整列していた。
「避難は無事終わったかのような雰囲気で、私自身も子どもたちを確認
してほっとしていた」と振り返る。
寒がる顔見知りの高齢者女性を車に乗せ、ラジオの電源を入れると
「大津波が来ます」という言葉が。
立地条件や風向きで 聞き取りにくいことが多い防災無線からは 「堤防を越え
ました」という声がかすかに聞こえた。
菅野さんは児童を守るため 校庭のすぐ西側にある山への避難を決めた。
校庭の裏手約100mには 避難訓練をしたことのある高い小山があったが、
道路を走って向うのでは間に合わないと判断した。
学校に隣接する山には高さ約12mの広場があり、そこまで普通の階段より
段差があるアスレチック用の丸太があった。
高学年から一斉に駆け上がり、最後尾から菅野さんが続いた。

息を切らして下の校庭を確認すると、瞬く間に茶色い波が3階建ての校舎を
のみ込んだ。
校庭に集まっていた住民たちも ほとんどの人が山に逃げたが、逃げ遅れた
人もいた。
さまざまなものが流されてきた。車は体育館にぶつかって炎を上げた。
児童と教職員は津波が足元に近づいてきたためさらに上へ。
その後地域の人たちと山道を通り、長部地区の長円寺と月山神社に分かれ
て泊まった。
教職員と子どもたちの避難生活はしばらく続き、児童全員を保護者に引き渡し
たのは震災発生から6日後だった。
津波の時は 他人に構わず逃げろという 「津波てんでんこ」の言葉が 地域に
伝わる。だが、「教職員は決して てんでんこにはなれない。自分の命を懸け ても 子どもたちを守らなければ」
駆け上がった丸太階段は1989年、地域住民と保護者が整備した。
「あれがなければ逃げ切れたか分からない。地域の人たちが守ってくれた」
気仙小

現在は陸前高田市気仙町の長部小学校の校舎
を借り、授業をしている。
来年、同校と統合する。現在の児童は51人。
被災した気仙小のあった今泉地区には、約600
世帯住んでいた。
うち数戸を残して全半壊し、当時の児童92人全
員が家を失った。
被災した校舎は気仙川の防潮堤から約200m、
河口から約1kmに位置している。