春(作品第709番)―宮澤賢治詩集 「春と修羅」より | ブドリの森

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 (作品第709番)
 
                  *          *          *          *                                                      
 
陽が照って 鳥が啼(な)
 
あちこちの楢(なら)の林も
 
けむるとき
 
ぎちぎちと鳴る 汚い掌を
 
おれは これから もつことになる
 
 
                                                    1926・5・2 作
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                                             開拓地の春  2012・4・20撮影
 

 
 
以前にも書きましたが、宮沢賢治1926年3月末をもって、
 
教師として 勤めていた 稗貫農学校を退職し、農民として歩み始めました。
 
 「宮澤賢治という人」 http://blogs.yahoo.co.jp/koiwaiponnta/6501324.html
 
 
『ぎちぎちと鳴る汚い』 のは 土がしみ付き マメやタコで硬くなった百姓の掌です。
 
でも、賢治は決してそれをさげすんでいるのではないと思えます。
 
もしも、親のいいなりになって 実家の質屋を継いでいれば、
 
なんら手を荒らすこともない、裕福な生活が約束されていました。
 
しかし、賢治の柔らかで 純粋な良心はそれを許しませんでした。
 
「貧困にあえぐ農民の生活を向上させるために 指導にあたりたい。」
 
それは命じられたわけでもなく、自ら選んだ苦難の道でした。
 
この詩には 「本物の百姓になる」という賢治の決意がこめられています
 
 
今でも、同じような思いを持って、苦難の道を選ぶ人たちがいます。
 
「自分には関係ない」と、 無関心でいても 誰に責められることもないのに…
 
生活を切り詰めて 支援金をまかなったり、忙しくボランティアに参加したり、
 
 被災地の支援のために 自らを投げ打ち、精力的に活動して下さっています。
 
ここで すべての方の 名前を挙げることは出来ませんが、
 
『ぎちぎちと鳴る汚い掌』 を選んだ方々を とても 誇りに思います。