賢治先生の家―羅須地人協会へ行って来ました^^ | ブドリの森

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ここのところ 震災関連の報道づくめだったので 気分転換に、
 
花巻にある宮澤賢治の家―羅須地人協会を見学して来ました。
 


 
宮沢賢治1926(大正15)年に花巻農学校を退職した後、
 
花巻市桜町に羅須地人協会を開設しました。
 
賢治はここで独り暮らしをしながら農耕生活をはじめ、周辺の農家の青年を集めて、
 
農業について(化学、土壌、肥料、農民芸術論)講義したり、
 
作物の交換会をおこなったり、 さまざまな芸術を教えました。
 
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 宮澤賢治像と建物です。当時は花巻市内の桜町にありましたが、倒壊したため、
 
花巻農業高校の敷地内に復元され、「賢治先生の家」として親しまれています。
 


 
 
 農業高校の事務室で を借りると、あとは自由に見学できました。 (;^ω^A
 
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 左側のドアが玄関です。 (^∀^*)b
 
ドアを開けると タタキがなく、すぐに板の間の廊下なので、外に靴を脱ぎました。
 
当時もそうだったのかな~ 天気が悪い日は不便だったでしょうね。
 
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 有名な 伝言板  賢治の弟、清六さんが書いたものですが、
 
消えないように 花巻農業高校の生徒さんたちが 上書きして保存しているそうですよ。
 
 
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 玄関を入ると廊下と 二階の書斎への階段がありました。
 
でも、老朽化のため 二階は 立ち入り禁止です。
 
 
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 風の又三郎マントが展示されていました。
 
 
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 廊下の左手には 八畳の居間。
 
東と南面がガラス戸なので、日あたりも良く、とっても明るい部屋です。
 
 
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 階段下のオルガン。 昔懐かしい足踏み式です。
 
賢治がこれを弾いて、若者たちに音楽を教えたり、作曲をしたんでしょうか。
 
 
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 廊下の右手の教室  当時のままです。
 
今にも農家の若者たちや 賢治先生がひょっこりやって来そうな気がします。
 
 
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 大きなガラス窓とフローリングの床、吹き抜けの天井など、
 
当時としてはハイカラな建物だったんでしょうね。
 
 
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賢治が農学校の教師を退職し、 ここで農民としての生活を始めたのは
 
生徒に対して「農民になれ」と教えながら、
 
自らが俸給生活を送っていることへの 葛藤であったと推定されています。
 
 
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また貧窮した農村に芸術を広め、こころ豊かな生活への向上を めざしたものの、
 
年長の保守的な農民からの理解を得られず、社会活動を行なっていると警察嫌疑を受け、
 
わずか半年で 協会としての活動を休止せざるを得ませんでした。
 
 
賢治が純粋な動機で行なったことが、誤解や風評を招いたり… 
 
さぞかし無念であったに違いありません。
 
賢治の功績が評価されたのは死後のことでした。
 
 
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