宮澤賢治の『どんぐりと山猫』より | ブドリの森

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しばらくご無沙汰していましたが、久しぶりのイーハトーブシリーズです。
 
今回は 宮澤賢治の童話 『どんぐりと山猫』 をお送りします。
 


 
おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
  
かねた一郎さま 九月十九日
  あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。
  あした、めんどなさいばんしますから、おいで
  んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                  
山ねこ 拝
 
それは 山猫からの裁判の依頼状でした。
 
一郎はうれしくてうれしくてたまらず、
 
次の朝、真っ青な空の下、森の中をのぼっていきました。
 

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すきとおった風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。
 
一郎は栗の木をみあげて、
 
「栗の木、栗の木、やまねこが ここを通らなかったかい。」とききました。
 
栗の木はちよっとしずかになって、
 
「やまねこなら、けさはやく、馬車で 東の方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。
 
栗の木に続いて一郎は、や、ぶなの木の下のキノコや、
 
胡桃の木の梢を飛んでいるリスと 次々と出会い、そのたびに山猫の所在を尋ねました。
 
 
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一郎が顔を真っ赤にして、汗をぽとぽとおとしながら、坂をのぼりますと、
 
そこはうつくしい黄金いろの草地で、
 
まわりは立派なオリーヴ色の かやの木の森でかこまれてありました。

山猫は言いました。 
 
「こんにちは、よくいらっしゃいました。
 
実はおとといから、めんどうな争いが起こって、
 
ちよっと裁判に困りましたので、
 
あなたのお考えを、うかがいたいと思いましたのです。
 
どうも毎年、この裁判で苦しみます。」
 
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山猫のもとに大勢アリのようにつらなって集まってきたどんぐりたちは、
 
山猫の前にかしこまりながら、口々に叫びました。
 
 
「なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。
 
そしてわたしがいちばんとがっていますビックリマーク
 
「いいえ、違います。丸いのがえらいのです。いちばん丸いのはわたしですビックリマーク
 
「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。
 
わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよビックリマーク

 
 
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もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、
 
まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。

 
困ってしまった山猫一郎にそっと申しました。

「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」
 
一郎は笑って耳打ちすると、山猫はなるほどというふうにうなずいて、
 
それからいかにも気取って、繻子(しゆす)のきものの胸(えり)を開いて、
 
黄いろの陣羽織をちよっと出して どんぐりどもに申しわたしました。
 
 
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「よろしい。静かにしろ。申しわたしだ。
 
このなかで、いちばんえらくなくて、バカで、めちゃくちゃで、
 
てんでななっていなくて、頭のつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」
 
どんぐりは、しいんとしてしまいました。
 
それはそれはしいんとして、堅まってしまいました。
 


 

物語は、このように単純なものです。
 
いくら どんぐりたちが自分を優れていると主張しても、
 
はたから見れば、しょせん 「どんぐりの背比べ」 であって、取るに足りないもの。
 
誇りや優越感や自慢は、争いのもとになるのに対し、
 
慎みや謙譲という特質は、優れた美徳であることを 賢治は教えようとしたのでしょう。
 
 
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一郎のおかげで 問題がいっきに解決して喜んだ山猫は、
 
おみやげにたくさんの金色のどんぐりを一郎に持たせて、馬車で送り返しました。
 
馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだんがうすくなって、
 
まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変っていました。
 
 
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賢治は 花巻でも屈指の富裕な家に生まれ、父親は町の名士であり、
 
秀才と称賛されて、13歳の時に 盛岡の県立盛岡中学校に入学しました。
 
 
その時、付き添ってきた父親が、わざわざ懐から金の懐中時計を取り出し、
 
教師たちの目の前で、見せびらかすかのように ネジを巻き上げたことに、
 
少年賢治は烈しい嫌悪感をあらわし、短歌に詠んでいます。
 
 
このように もともと持ち合わせた純粋な心と その後に得た信仰心に動かされて、
 
貧しい農民を救済するために自分を投げ打ち、彼らと共に生きた賢治にとっては、
 
人が誇りとする生まれや家柄や社会的な地位などは、地元ではのように見えても、
 
もっと大きな世界に出れば、何の価値もないものだと
 
風刺の精神を込めて描いているのだとも受け取れるのです。