あの日から 半年ですね。
2ヶ月ほど前から 文藝春秋の増刊号 「つなみ」を 読みはじめましたが、
実は 今でも まだ 完全に 読み終わっては いないんです。
被災地のこども 80人の 作文集。 こどもたちの 見た 3.11の大津波。
言葉拙く 簡潔な文章なのに、意図的に脚色された報道よりも 心に迫ってくるので、
ひとつ読むたびに 心の整理が必要です。 それでこんなに時間がかかってしまいました。

渾身の力をふりしぼって ペットボトルの水を運ぶ少年…
わが故郷、気仙沼の避難所での写真でした。 どこの子でしょう。
イタリアの週刊誌は これらの写真を とりあげ、絶賛しました。
「つらがまえがいい。日本は絶対に復興する。」と…
誉めていただいたのに、なぜかスッキリしない。
復興させるのは 大人の責任であって、この子の世代であってはならないはずでは…

作文では 津波の恐怖、肉親の喪失…
大人ですら咀嚼できない 過酷な現実の中で、
ほとんどの こどもたちは 命あることの喜び、
救援に手を貸してくれた人々への感謝を綴っていました。
でも、それを読んで「偉い」というより、 かえって不自然で 危ないような気が。
こどもたちは かなり 無理をしているんじゃないだろうか…

漠然とした不安を抱きながら この記事を準備していた時に、
ブロ友のスタリオンさんも 同じような気持ちを抱いていたことを 知りました。
【うちはまだマシな方…】 http://blogs.yahoo.co.jp/rally037evo2/6078133.html
日本人は 謙虚で、本音を言うと 弱音や愚痴になると思うのか、あるいは、
まわりの人たちへの配慮なのか、 前向きで 積極的な言葉を 語ろうとします。
でも、それは 重要な過程を 見過ごしています。

それは 心の傷に 深く刺さった 異物を 取り出さないで、縫合してしまうことと同じことで、
表面的には 治癒したように見えても、 膿やうずきが なくなることはありません。
悲しみや絶望感、不安、怒り…
このような感情を 封じ込めるのではなく、自由に吐き出せること、
そして それを 否定したり、お説教したりせずに 受け入れてあげること。
「被災者の心のケア」 「震災のトラウマと復興ストレス」 「PTSDやうつ病にならないために」
このような言葉を 良く目に するようになりました。
大人も こどもも、まず 消極的な感情を 表現することが必要なんですね。
千年に一度の 「つなみ」という大打撃を受けた こどもたちの心。
この作文集は その時、受けた心の傷を癒すための 貴重な過程だったといえます。