宮澤賢治が 作品の中で、イーハトーブ国の首都、モリーオと呼んだ盛岡。
賢治は1909年(明治42年)から 1918年(大正7年)までの9年間、
13歳から22歳までの 多感な青春時代を この盛岡で 過ごしています。
盛岡での生活が 彼の生き方や作品に 大きな影響を与えたことは 間違いありませんが、
若き日の「賢さん」が見た 100年前の 盛岡は どんな街だったんでしょう
モリーオの面影を たどってみました。
の目印のところから 右に歩いて上の橋を渡り 信号を曲がって南下、
ふたつめの信号を左に折れて 中の橋を渡り 対岸の川べりを戻っています。
ちょうど 漢字の日の形の範囲です。 盛岡全体図は-をクリックして見てくださいね。
1609年に建造された 中津川にかかる 上の橋
現在の橋は 再建されたものですが、欄干の擬宝珠(ぎぼし)は 当時のままです。

城下町の風情を残す 丸竹餅店

旧井弥商店(現在は盛岡生食普及会)
中も外も 当時のまま。 自然食品の店として 今でもふつうに営業しています。

旧井弥商店の裏にある 蔵を利用した喫茶店

上の橋通りの町並み

八百屋さんの店先 りんごが安いですよ。

素朴で なんか ホッとしますね^^ 
信号を右折して、紺屋町の町を歩いていると、 おや…

門の上に 風の又三郎 のオブジェが…^^

「ドッドド、ドドウド、ドドウド、ドドウ… ああまいざくろも 吹き飛ばせ…」
子どもたちの 歌声が 聞こえてきそう^^
通りのむかい側の 小さな雑貨店

羅須地人協会の黒板に書かれた 賢さんの伝言と同じです。
本物は 賢さんの 生まれ故郷の 花巻(ハーナヌキヤ)にあります。

コーヒーやさんから コーヒーのいい香りが…

あっ
クラムボン

「クラムボンは 笑ったよ…」
「クラムボンは ぷくぷく 笑ったよ…」
童話 『やまなし』 の中で、カニの子どもたちが くちずさんでいた言葉を 思い出しました。
造り酒屋の蔵 賢さんの時代のものではないでしょうが、古い昭和のかおりがします。

1913年(大正2年)建築の 紺屋町番屋 消防の屯所として 活躍中。
火の見やぐらがついたハイカラな建物。 当時ではかなり斬新だったんでしょうね。

江戸後期から明治にかけて 豪商が住んでいたという ござ九商店

家庭用の荒物店です。 カゴやザル、ほうき、たわしなどが店先に並んでいます。
見ているだけでも 楽しいですね。
昭和2年に建てられた 旧盛岡貯蓄銀行(現在は盛岡信用金庫)
賢さんの盛岡時代以後にできましたが、 昭和モダンただよう 威風堂々の重厚な石造りです。

1911年(明治44年)建築の 旧盛岡銀行本店
これは賢さんが 盛岡に来た2年後に出来たので、
ルネッサンス様式のハイカラな建物を見て、胸を躍らせたに違いありませんね。

今は岩手銀行 中の橋支店になっていますが、普通に営業しているのが 驚きます。
中の橋から 上流の与の字橋、上の橋を 望む

盛岡は市内を 北上川、雫石川、中津川と 三本の清流が流れています。
この中津川には 秋には はるばる太平洋から 鮭がのぼって来ます。
テレビいわて、盛岡市役所の裏。 川沿いの 散策路には クリスマスローズが咲いていました。

対岸を行く 人影は… あれっ
賢さんかな 
ビルが見えなかったら、タイムスリップしたような錯覚がしますね。

ここが 県庁所在地のある都市の 中心部だなんて 信じられますか
天気が良ければ もっと キレイだったんですが…

イーハトーブの首都、モリーオのほんの 一部でした。
新緑の季節になったら、また 探検に行きたいですね。