小さな一歩… | ブドリの森

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将来の自分のための備忘録
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いただき物の生地や付属品を活用して
極力材料費をかけずに仕上げるか苦戦中
たまにペットのインコの話も

 
気仙沼に行った次の日の 3/31の朝、突然、ガソリンスタンドの大渋滞が消え、
 
やっと 震災前のように 自由に給油が出来るようになったので、
 
4/2、4/3 と 宮古のだんなマンの実家の 後片づけに 行って来ました。
 
 
だんなマンの実家は 堤防の近くなので、押し寄せる津波で 床上浸水しました。
 
姑は 幸い 近所の消防団の方に助けていただき 無事でしたが、
 
よほど ショックだったのか、震災の前後数日間のことを すっぽり忘れてしまっていました。
 
波
 
家の片づけは、宮古市内に住む だんなマンの長兄や 妹がいくらかしたようですが、
 
「どこから手をつけたらいいのかわからない状態」なので、大勢で一気にすることにしました。
 


 
そして実際に この目で見た家は、想像以上にひどいありさまでした。
 
床上浸水 93cm。つまりそれ以下の物は すべて海水に浸かって、ヘドロをかぶっています。
 
家の中を歩き回ると、長靴の底に厚く泥がくっつき、壁には穴があき、戸は壊れて ガラスが散乱… 
 
電気も暖房も使えないので、暗く 寒く、しめった泥の臭い。。。
 
写真ではフラッシュをたいたので 明るく見えますが、ホントは真っ暗なんです。
 
 
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一階には、仏間、茶の間、姑の部屋の 三部屋と、台所、風呂場とトイレがあります。
 
  まずは写真左側の 仏間の家財道具を すべて茶の間に移動して、畳を起こして廃棄。
 
泥水に浸かって 使えなくなったものも廃棄。 電化製品は ほとんどダメでした。
 
 
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  一部屋だけで、こんなにゴミが… 
 
長兄が借りてきたトラックに積み込んで、廃棄場に捨てに行きました。
 
ゴミ捨て係も助手が必要です。 二日間で、トラック5台分でした。
 
その間、別働隊は 家の中のそうじです。
 
 
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仏壇を出して すみずみまで泥を落とし、丁寧に水拭きして、アルコールスプレーで消毒
 
押入れや仏壇のあった床板にも1cmほど 泥が積もっています。 壁には木の葉やごみが…
 
 
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  畳の下の床板や廊下の泥を 雪かき用のスコップでこそぎ取り、何度もほうきで掃きなおし、
 
廊下の板がようやく見えてきました。 敷居や溝も 割りばしやブラシで掻き出して 何度も水拭きです。
 
 
 
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  ある程度、泥が取れたら、今度はたわしで擦りながら、ぞうきんで拭き取り乾かします。
 
そのあとはキレイになった床に ブルーシートを敷き、茶の間の物を移動。
 
それから また畳を起こして…  これを延々と繰り返し、三部屋終えるのに、丸二日かかりました。
 
 
 今、ボランティアの是非が問われていますが、絶対的に人手が必要ですビックリマーク
 
一軒だけでも、こんなに大変だし、手伝ってくれる家族がいない人もいるからです。
 
 
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ウチはひとりで一日半がかりで、トイレと洗面所と廊下、階段下の収納と台所のそうじをしました。
 
浴槽や便器、タンク、洗面台、台所の流しや 引き出し、箱状のものや梅干のカメにまで
 
泥水が溜まっていたのにはビックリ… 冷蔵庫は水に浮かんだのか、横倒しになっていました。 
 

 
 
一般の人たちの廃棄場になっている 藤原埠頭には こんなにたくさんの ゴミが…
 
それでも、住宅地の路地裏には 瓦礫やゴミが山になっています。
 
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こことは別に、自衛隊のトラックで運ぶ 瓦礫の廃棄場が、鍬ケ崎埠頭にもあります。
 
いったいどれだけの市民の財産が 瓦礫やゴミになったのでしょうか。
 
 
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  津波の被害を受けた 藤原埠頭の建物    
 
ちょうどこの時、(4/1~4/3) 行方不明者の集中捜索が 行なわれていて、
 
上空をヘリコプターの飛び回る音が、一日中聞こえていました。
 
岩手、宮城、福島三県での集中捜索 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110404_10
 
 
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夜は電気も暖房もない 実家の二階で、 寝袋とダウンケットを掛けて寝ましたが、
 
あまりにも寒すぎて熟睡できず、ひっきりなしに、救急車のサイレンが聞こえました。
 
薬が足りなかったり、過酷な避難所生活で 体調を崩す人が たくさんいるのでしょうか。
 
避難所では、毛布が二枚だけだと聞きました。 どんなに寒い思いをしているんでしょう。
 
 
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翌朝、防災放送で 宮古市長のメッセージが流れました。
 
「今日も一日、頑張りましょう!! なんて心強い励ましの言葉でしょう。
 
たちまちやる気が出ました。  今、被災地に一番必要なものは何だろう
 
辛苦を共にしながら 先頭に立って リーダーシップをとってくれる人。
 
そして、安心して復興に取り組める資金援助。 そして、仲間…
 
 

 
 
宮古市内のスーパーのウインドウの励ましの言葉… 被災者同志だから、なおさら心にしみます。
 
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二日目の午後中、外の水道で ウチが泥水に浸かった器物を ひたすら洗い続け、
 
姑はそれを ひたすら拭き続けていました。 
 
すると、通りかかった人たちが、姑の無事を喜んで、声を掛けてくれました。
 
時には抱き合ったり、涙を流したりすることも… 
 
別れる時に 誰もが言ったのは この 「がんぱっぺすビックリマークでした。
 
 

 
 
  スーパーの店内では、こんなチャリティバザーが…
 
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片付けが終わるころ、ため息ばかりついていた姑が、
 
いつの間にかをくちずさんでいるのに気づきました。