野球 戦後 原っぱ | ヨコハマタソガレバナナスタンド

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都内某劇場勤務。
ミュージカル、映画、将棋、落語、特に志ん朝、音楽、なかでもクレイジーケンバンド、ビートルズ、野球、わけてもベイスターズ、These are a few of my favorite things

同世代の仕事仲間との休憩中の会話。
「息子は高校で野球やってるんだよね。」
「ポジションはどこ?」
「いやあ、ポジションとかいうレベルじゃなくて、九人揃わないんだよね。しかも5校合同で。」
「え?かなりの僻地なの?」
「いやいや、西東京。」
そーか、今やそんな感じなのか、野球。
実は僕の卒業した中学は当時1学年25人で1クラスだけ。
つまり全校生徒75人の変わった中学校で、しかも共学なんで半分が女子。
つまり全校で男子生徒は40人以下だったんだけど、野球部が常に10人以上いた。
そーゆー時代だったんだよね。
子供の頃、テレビでジャイアンツ戦見て、みんなONに憧れて、そんでもって、原っぱで日が暮れるまで三角ベースに明け暮れたんだよなあ、みんな。
えーと、もしかして注釈が必要なのかな?
ONはオーエヌって読みます。王選手と長嶋選手のことです。
三角ベースってゆーのは、ベースの形状が三角形とゆーわけではなく、正式な野球の内野はホームベースを起点に90度のフェアゾーンに1、2、3塁を配置した通称ダイヤモンドで行われるのに対して、フェアゾーンの角度はざっくり60度くらいで2塁ベースを省略して、ホームを起点に二つのベースをなんとなく二等辺三角形になるように配置して、グローブも使わず柔らかいゴムボールとバットもしくはバット代わりの材木もしくはプラスチックのバットもどきを用いて遊ぶのが“三角ベース”で、総員4人くらいいれば、なんとかなる野球もどきで。。。
と、細かに説明しつつ、ん?実は一番説明が必要なのは、オーエヌでも三角ベースでもなく“原っぱ”じゃなかろーか?
みかけなくなりましたよね、“原っぱ”
子供たちの自由空間の正体不明の空き地。
あれ、元をたどれば戦災の焼け跡の名残りだったりするですよね、実は。
そーなんですよね、戦後17年の昭和37年生まれの僕は、戦争は生まれる前の遠い出来事と思ってたけど、実はわりと近い“戦後”に暮らしていたんだよなあ。。。
ん?何の話だっけ?