ミュージカル「SEMPO」


~日本のシンドラー杉原千畝~


主演 : 吉川晃司

作曲 : 中島みゆき


新国立劇場で観てきました♪


(≡^∇^≡)



私は小さい頃に母から杉原千畝の話は聞いていたのですが、

意外と知らない人が多いのですね。


(+_+)


「SEMPO」とは、

ユダヤ人たちが「千畝(ちうね)」という名前をうまく発音でき

なかったので、音読みで「SEMPO(せんぽ)」と呼んでいた

ことに由来しています。


第二次世界大戦の頃、ドイツと友好国だった日本政府は、

ドイツのユダヤ人迫害が激しくなってきたポーランドから

逃げてきたユダヤ人にビザを発給することを許可していま

せんでした。


そんな状況下で、杉原千畝は人道的な立場から、自分の身

を省みずにビザを発給し多くのユダヤ人の命を救ったのです。


(。-人-。)



詳細は各々で調べていただくとして…


ミュージカル仕立ての舞台では、

やはり吉川晃司の長身が舞台映えしていたのが印象的でした。


個人的には彼の声が好きなので、低音の部分はとても魅力的

でシビレました♪


(≧▽≦)



中島みゆきの曲は、歌詞がいかにも中島みゆき!という感じで、

緊迫した人々の心情にぴったりでした。


☆-( ^-゚)v



また、劇場ロビーのお祝いの花の量が半端ではなく、


長いロビーの両側の端までずーっと、綺麗な花の香りで、


満ち満ちていました♪


:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



久しぶりの劇場の雰囲気を堪能し、


休憩時間に飲む冷えたビールも格別で、


楽しい週末の夜でした♪


(=⌒▽⌒=)



終わったあとは、


「”命のビザ”観たから”ピザ”食べよう♪」\(^_^)/


ということになり、


夕食は「白ワインとピザ」。


いつもの私でございました。


(;^_^A












8月の吉方位は南と東南なのですが、


東京の南と東南は、海ばかり。


思いつきで八丈島へ飛びました♪


(≡^∇^≡)


台風がきていて、雨の予報でしたが、


念力で晴れました♪


('-^*)/



八丈島は黒潮の海流の影響で、


独特の文化と歴史があり、


お魚も同じ東京都なのに、

(レンタカーが品川ナンバー)


見たことのないお魚が沢山ありました♪


o(^▽^)o


そして、もちろん、八丈島といったら、「くさや」


(≧▽≦)


ムロアジとトビウオがありますが、


トビウオは淡白なので、全然クセがありません。


お酒がすすんでしまいます♪



また、私のお気に入りは、「オナガの皮の酢味噌あえ」♪


オナガダイの皮を湯引きしたものですが、


美味しくて、美味しくて、


これだけでずっと飲んでいられるくらいです。


:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



オナガダイはお刺身も美味ですが、


ほかには島寿司に使う、メダイやアオダイなども


白身でも、味わい深いものがあります。



あと、「アカサバ」というお刺身がとても美味しかったです。


サバの仲間ではないのですが、身が赤いのでそう呼ばれています。


カツオのようで、やっぱりサバ?みたいな感じなのですが、


サバ好きの私としても、


「アカサバ」と呼ぶにふさわしい、素晴らしいお味でした。


o(^-^)o



そして、八丈島の焼酎はどれも飲みやすく、


非常に口あたりが良かったです♪


(=⌒▽⌒=)



ただ、隣りの青が島で造っている「青酎」は、


かなりクセが強いので、ダメな人はダメのようです。


私は美味しくいただきましたが。


(≡^∇^≡)



八丈島の旅は、食べてばかりいたわけではなく


いろいろな事がありました。


たった3日なのに、とっても長くいたような感じがします。


私が帰ったあとにも、


レンタカー屋さんで、話題になっていたと後で聞きました。


(;^_^A



そんな珍道中は、


またそのうち♪


(^-^)/









「朽ちていった命」


ー被爆治療83日間の記録ー


NHK「東海村臨界事故」取材班


新潮文庫



1999年9月30日


午前10時35分


茨城県東海村の核燃料加工施設「JCO東海事業所」で、


放射線がでたことを知らせるエリアモニターのサイレンが鳴り響く。



作業員 大内 久さん 35歳


ステンレス製のバケツの中で溶かしたウラン溶液を

ヌッチュとよばれる濾過器で濾過したいた。


7杯目の最後のウラン溶液を同僚が流し込み始めたとき、

ロウトを支えていた大内さんは、パシッという音とともに青い光を見た。


臨界に達したときに放たれる「チェレンコフの光」だった。



この本はその日から始まった治療の記録です。



取材に客観性を持つために、感情的な描写は少ないけれど、


この時の一人の作業員の被爆の記録は、


まさに今進行しているフクシマの現実を思い知らされます。



驚くことは、


ヒロシマ、ナガサキで多くの被爆者がいたのに、


日本の病院には、被爆とその治療についての資料がほとんどなかったという事実です。



ヒロシマの原爆記念館には、


人間の皮膚が垂れ下がっている姿の絵が沢山あり、


大内さんも、まさに同じ症状であるにもかかわらず、


「前例のない治療」をしているような現場の困惑が伝わってきます。



人間が放射性物質を扱うということが、


どれだけ危険で恐ろしい行為であることか…。



マニュアル通りの作業をしても、


万全の安全策をとったとしても、



決して人間が関わってはいけない領域が


この世界にはあると人間は知るべきだと、


この本は教えてくれました。



地球上には、人間以外の命が無数にあり、


その命によって、人間は生きていける。



全ての命が、美しくみえるのは、


美しい自然環境があるからです。



この本を読んで、


大内さんからの無言のメッセージを、


是非、読みとってください。