破壊王回顧録。
思い返せば、わたしは橋本真也について長く語り過ぎたのかもしれません。何年続いたんでしょうか何年これが。いいかげんに総括をしなければ次に進めない…そんな心持ちでどうせなら自分がいちばん思い入れがあって好きな試合、橋本小川抗争の第4戦。
1999年10月11日 東京ドーム
NWA世界ヘビー級選手権試合
小川直也対橋本真也
この試合をもって長かった回顧録の総括とさせていただきます。
余談ですが、この記事タイトル「プロレス最強神話は終わった」は同年11月出版された故・竹内宏介さんの著書と同タイトルになります。高校時代に何度も繰り返し読んだマイフェイバリットであり、本作のラストを飾る一戦も橋本小川の第4戦でした。若干因果を含めさせてもらって話を進めますと…
プロレス最強神話の終焉ー
黒船グレイシー一族の襲来からアルティメットの台頭。以来アルティメットファイトに挑み返り討ちにあい続けたプロレスラー達、極めつけは1997年に高田延彦のヒクソングレイシー戦の惨敗。とにかく大変な時期で、プロレスファンにとってショックな事実が続きました。しかしながら「まだプロレスの砦が崩れたわけではない。」と、マット界の劣勢はどこか対岸の火事と装って、まだ新日本プロレスを拠り所にできていた。そんな呑気な時代がいよいよ終わりを告げる時がやってきます。
発端は1999年の1.4事変。悪名高いこの一戦で全てが覆されました。ところが…
「あの試合は何かの間違いだった。」
「次のリベンジマッチはまた橋本が小川の顔面蹴ってKOでしょ。」
…などと儚げな期待と妄想をいだき、それが無常に打ち砕かれる橋本小川の第4戦。
しかも不可解なことが続きます。橋本が2回続けて惨敗した。もう仕様がない。橋本が手に負えないんだったら次は健介か中西?いや、武藤敬司がいるだろう。誰か橋本の敵を取ってくれ!
……ところが、小川の対戦相手に誰も名乗りを挙げない。この時わたしはやっと気がつきました。
誰も小川に勝つ自信がない。新日本プロレスには小川をねじ伏せる刺客がいない。わたしのなかで神話がガラガラと崩れた瞬間がここでした。
結局、橋本が再び名乗りを挙げて二人の抗争は再び再燃します。しかしながら、肉体的ピークを過ぎていたこともあったんでしょうが橋本の敵は小川だけではありませんでした。新日本の内部抗争も表面化していくなかで最終的に引退まで追い込まれてしまいます。それでも思い入れが深いのが橋本小川の第4戦でした。プロレスだけが持つ特異性。人間をみせる、比類なきジャンルがプロレスなんじゃないだろうかと思わせてくれるのがこの試合です。内容、結果だけじゃなくそこにいたるまでの過程もすこぶる面白かった。
それでは改めて、1.4事変。まずはこの試合をもって回顧録の序開きとなります。。
続く