伝説といえば | 珈琲にハチミツ

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ゼロワンを立ち上げて独自路線を突き進む破壊王・橋本真也。それは新日(アントニオ猪木)といった枠をはみ出し未知の領域で日々挑戦の連続だったが、そのなかで橋本は意外な人物達と再会を果たす。

ドン荒川。昭和の新日にその人ありといわれ、また駆け出しの橋本はじめ後の闘魂三銃士となる武藤、蝶野らを育てた恩人である。今回は橋本とドン荒川のエピソードを紹介してみたい。
橋本の料理好きのルーツは荒川にあり

…食べものに関する橋本の逸話は数知れず。エアガンで撃ち落としたスズメを食べさせられた天山や、ハチの子を食べさせられそうになったかずみ前夫人などとんでもない話が有名だが、実はガチンコの調理話もいくつか存在する。

「ラーメン番組を見るや、鶏ガラからダシまで全部買ってきて我々新弟子に食わせてくれた。その後は散らかしっぱなしで帰ったけど。」
西村修談

「お豆腐に凝った時も素材に凝りすぎて一丁2〜3万しちゃってた。」
かずみ前夫人談

「若い時はよくあいつのホームパーティに招かれたんだよ。エプロンかけてよく台所に籠ってたよ。たしかに料理はうまいけど、ただ宴会がホント長いんだよなッ…あいつの家にいくと、いつも朝の5時や6時まで飲んじゃうんだよ。楽しいけど疲れちゃうんだ。」
武藤談

楽しい思い出なのか被害届なのかよくわからないが、橋本いわく「おれがいま舌が肥えた理由はね、あの頃荒川さんに付いて学んだからですよ。」だという。

あの頃とは、橋本が入門して間もない80年代前半に遡る。

当時の道場は鬼軍曹・山本小鉄の後を継いでドン荒川と藤原喜明のふたりが新弟子の面倒をみていた。主にウェートは荒川が、セメントは藤原と分担して指導にあたっていた。荒川はウェート担当でも当然腕の立つ男。(かの木村政彦から柔道を習い、東京五輪メダリストの渡辺長武からアマレスの指導を受けていた事もあり、カール・ゴッチや猪木も荒川を極められなかったという話がある)

荒川「その頃は藤原が若手を仕込んでね。少し自信がついたところで『荒川をやってこい!』と命令するんです。そして本人にはわからないように藤原が私にウィンクしてきてね。『早く極めちゃえ!』という意味で(笑)彼とは若い頃からツーカーでしたから。それで私が速攻でガッと極めて『お前ちっとも強くなってねえよ!』って。そうするとガクっと来るわけですよ、新弟子は」
伝説のラインダンス式トレーニング

荒川「宝塚をみてこれはいいなと。みんな一列になって肩を組んで毎日やらせたの。体重が100キロ近くあるもなかなか足が上がらないんですよ。最初は悲鳴を上げてたけど。1週間もたったら宝塚以上にうまくなっちゃって(笑)
…スタミナですね。やってみたらわかりますけど物凄くキツイですよ。スクワットなんか馬鹿でもできるから(笑)ゴッチさんの練習は理にかなってますけど、ちょっと変わったことをやるとスクワットとは別のスタミナがつくし、別の筋肉が鍛えられるわけです。しかも昔は練習中に水を飲んじゃダメ。今ならみんな心筋梗塞ですよ(笑)」

荒川の道場話をふたつほど引いてみたがこの話だけでも練習の厳しさが窺える。さて橋本であるが、学生時代の実績もなく、入門当初はまだ誰にも知られていない一介の若手。憧れのスター的存在の猪木は別格として、当時のコーチ・荒川に師事することに。これはのちの橋本を形成する上での大きな影響をもたらした。橋本が傾倒した荒川イズムとは…⁉︎


続く