だが戻らない | 珈琲にハチミツ

珈琲にハチミツ

プロレスの話などをつらつら綴るブログです。

感想やご意見気軽にどうぞ★

時は来たァ!…それだけだ。(小声)

今回から破壊王に想いを馳せるシリーズ開始です★実は、最近の新日本プロレスになかなか気分が乗れずにいました…何かがもどかしい…それが何なのかわからず、日々ぼんやりと過ごしておりましたら、去る7月11日は橋本真也さんの命日。そうか、そういうことか!と久しぶりに心の導火線に火がついたのでしたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ 

橋本真也とは、90年代の新日本プロレスを闊歩した言わずと知れたミスター新日本プロレス(ミスターIWGP)!こうなったら橋本のエピソードに思いを馳せながら、モヤモヤの元は一体何なのか考えていこうかと思います。

では早速YouTubeで入場シーンからチェック……


そ、そういえば…

{395BBE1E-2C62-436D-B57F-DEFC23F01BE1}


そうだ。気付いたのは今から十数年前。
ZERO-ONE時代の橋本真也。いつの間にか入場テーマ曲である爆勝宣言のイントロの前に、あるフレーズが足されていた事に大きく違和感を覚えたのをハッキリと覚えています。

HARD-BOILED CITYのサビ

いまだ見えぬ夜明けを俺はお前と迎えに行こう

いまだ見えぬ夜明けを俺わずっと待ち焦がれている…


このフレーズの後にいつも通りの爆勝宣言のイントロが流れ出すのですが。えっ何で歌付けちゃったの?っていうのが第一の感想。そして、夜明けというフレーズを繰り返す歌詞にどこか寂しげな思いをいだかされたのが第二の感想。そして第三の感想は…こんな哀しげな雰囲気は橋本真也には似合わないな〜( ̄▽ ̄;)でした。


爆勝宣言(ZERO-ONE版)



と、のっけからグチめいた出だしになってしまいました。。


これはまさしくifの話なのですが、もし橋本が新日本プロレスを辞めなかったらこういうアンニュイな演出をすることはなかっだだろうな〜と。

プロレス話にifはつきものですが、橋本ほど様々なifに深みのある選手はいなんじゃないかと思っています。今回はそのifの話です。

{44DDDF45-209F-44CC-9E69-ABFD3F9AD3C3}

1996年4月29日東京ドーム
高田延彦の持つIWGPヘビー級タイトルマッチに臨む橋本は、はじめて闘魂伝承と刺繍されたガウンを身にまといました。

橋本真也にプロレスのイロハを伝授したのは、ドン荒川やミスターヒトと伝えられていますが、橋本の永遠の憧れはアントニオ猪木。その猪木の代名詞ともいえる闘魂を受け継ぐのは俺だ!と言ってはばからない時期が1996年でした。ドームで高田からタイトルを奪取して名実ともに新日本プロレスのエースに君臨した橋本は、この年の夏頃に突如道場で猪木と公開スパーリングを敢行します。
※資料が残っていないのが残念です!

橋本に三角締め(猪木曰く、高田には決まっても俺には決まらない。)やスリーパーなどグラウンドテクニックを教授した猪木。闘魂伝承の機運はさらに高まります。さらに年末の福岡ドームで橋本真也対アントニオ猪木がマッチメイクされた?なんてウワサも飛び交いました。が、大会そのものが中止に。

そして橋本自身もG1の長州力戦で大敗を喫し、その後公式戦全敗(!)という大実態をおかしてしまい闘魂伝承どころじゃなくなってしまいました( ´_ゝ`)

もし、橋本真也対アントニオ猪木が1996年に実現していたら?おそらく同年の猪木ベイダー戦のような展開(猪木が一方的に攻め立てられ、一瞬の隙を突いて逆転勝ち)になっていただろうというのが大方の予想だと思われます。しかし猪木が勝とうが負けようが、その後の新日本の潮目は間違いなく変わっていたでしょう。

明けて1997年は、あの小川直也のデビュー戦です。闘魂伝承という言葉が複雑な意味を持ち出してきます。そしてここにもifが!

1997年4月12日東京ドーム
橋本真也対ケン・シャムロック

※シャムロックはこの時はまだパンクラス所属でしたよね。当時は新日以外の団体はあまり知らなかったので、高田戦の再来で垂直落下式DDTからの三角締めでフィニッシュかな?なんて呑気に予想していました(´・ω・)

この一戦が実現していれば、小川直也は猪木とタッグを組んで、相手は長州健介組。ということはあの有名な橋本小川抗争も構築されず、猪木の引退試合の相手もドンフライじゃなかったかもしれません。ですがここまで(小川の登場)きてしまったらシャムロックと対戦しようがその後歴史の流れはどっちにしろ変えられなかったでしょう。

やはり、1996年の時点で橋本は猪木にトドメを刺しておくべきだったのかもしれません。もし対戦が実現してたとしても、橋本にそれができたかは定かではありませんが。。
※ここで「トドメ」と表現したのは、90年2月のタッグ対決の時点で猪木は橋本に敵わないことをハッキリと宣言していたからです。ですからなおさら橋本はもう一度だめ押しで猪木を完膚なきまで叩きのめしておくべきでした。引退後の介入もさせず、隠居。完全なる隠居をさせるべきでした。

{4D48D600-91CE-419B-926F-0C80B734D71D}
{55F061B9-AEF9-40AB-A602-C1D92F83B9A4}

…まさか橋本のほうが先に新日本プロレスから姿を消すことになるとは。1996年当時は誰も予想だにしなかったことでしょう。 



To Be Continued