幕末期に蕨は機織りで繁栄した。塚越の髙橋新五郎(2代目)はその中心的な存在で蕨の機業の始祖のような存在。没後は機祖神となった。その子孫が双子縞を日本各地に出荷して評判となったようだ。時代の流れにより衰退したが、最近になって復活させている。8月の機祭りはここに由来する。今年は残念ながらコロナ禍で中止になった。
機音のかすかに春の氷かな 勤
早春の1日、塚越稲荷神社内に立ち寄った。経塚の上に稲荷神社があり、塚越の地名の由来となった。子ども頃の遊び場でもあった。境内内にある機神社の存在に当時は気がつかなかった。掲句の機音は幻想のようなものだが、私がこどものころにはまだ機音がひびいていたはずである。