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太浦綱のブログ

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ようやくみんな気づきはじめた。
ぼくたちは、今日の昼は天丼がいいとか、やっぱりすき家はだめだとか、前から眼をつけてた娘とねたらやっぱりよかったとか、自分が幸せになるためにふだんいろいろ気を回している。
そのくせ、ぼくたちの身体もぼくたちが依存しているすべてのものも構成している、あの物質というものには、まったくといっていいほど眼を向けようとはしないのだ。おそらく、物質は50億年も100億年も、同じような姿(トロポス)で存在していると思っているんだろう。
だが、物質は動いている。別の言い方をしよう。概念は物質であり、物質は概念である。たとえば、ヒトのヘモグロビンとウマのヘモグロビンは、わずかに違っている。ヒトとウマの交錯する歴史は物質のなかにレコードされているのだ。
ヘモグロビン分子の構造、というのは、わずかなアミノ酸配列の違いにすぎない。しかし、もっと長い歴史を考えれば、鉄やケイ素、酸素やマグネシウムといった元素自体、何十億年か前にわたしたちの太陽よりいくぶんか重い恒星の中心での核反応で生まれたものなのだ。核反応は抽象概念としてしか考えられないという方がいれば、まさにそのとおり、わたしたちの具体的(コンクリート)な現実は、まさに抽象概念の否定の運動によってあるようになったのである。
太陽よりいくぶんか重い恒星が元素をつくった、という話をした。しかし、その恒星はどのように生まれたのか。恒星は銀河の重力によって集まったそれ以前の物質が凝縮してできる。では、銀河はどうやってできたのか。ダークマターはここで出てくる。ダークマターが自己重力で集まっておおまかな銀河のタネをつくると、ダークマターの質量性が同じ質量性をもつ通常物質を集めて通常物質からなる銀河ができる。
こうして、物質の歴史は物質がみずからを概念とみなして否定してゆく物質編集の歴史だったのだから、人間が放射性セシウムをつくったというのは人間が物質の歴史にひとつの痕跡を残したということだ。壁紙に絵を描いた子どもが自分の絵の前に立たされて反省させられるように、人間もたまには自分の物質編集の跡を見返して反省してみるのも悪くはないだろう。逆に、ぼくと物質編集がしてみたい異性の方がいたら言ってください。