こんにちは。
アジサイがきれいな季節になりましたね。
季節が変わるたびに、もうこんな時期になったのかと驚くのですが、
その時々に、ため息が出るときもあれば、心華やぐときもあったり・・・。
人は勝手なものです。
五月晴れの日々からじとじとした梅雨入りにかけて、
人はついうんざりしてしまいますが
自然界には、なくてはならない循環の一つ。
ですので、季節や環境の変化の一つ一つに対して
自分も一緒に変わっていく、循環していく、
といった気持ちを持っていると良いのかなと・・・・
そんな風に思う日々です。
この、日本の風土のもとで何千年、何万年もの歳月のあいだ
はぐくまれてきた鉱物の一つにひすいがあります。
今日は日本の翡翠についてお伝えいたします。
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前回のひすいのお話では、
中国の殷の時代の伝説をお伝えしました。
では日本ではどんな伝説があるのでしょうか。
日本で翡翠が発見されたのは、
越中、越前、越後の周辺を表す、越の国(こしのくに)と言われていた場所で、
現代の地図では新潟県糸魚川市周辺になります。
よく、【糸魚川の翡翠】と言われていますが、
厳密にいえば、
小滝川
そしてもっと内陸の
青梅川
が採取された場所となります。
ここにはこんな伝説が伝えられています。
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昔、越国を治めていたのは奴奈川姫という女王でした。
女王は翡翠の取引により越国に利益を得ていました。
あるとき、遠く出雲の国の王である大国主命(おおくにぬしのみこと)が求婚するようになります。
大国主命は越国に訪れて奴奈川姫の門前で和歌をうたい、何度も何度も奴奈川姫に結婚を迫るため、とうとう承諾することになります。
二人は出雲の国で結婚生活を送り、やがて子供が生まれました。
その子供は建御名方(たけみなかた)といい、のちの諏訪大社の神様です。
大国主命は実は結婚の理由は越国で採取される翡翠と、その加工技術にありました。
翡翠を何とか手に入れたい、加工技術を得たいと思い、
奴奈川姫から翡翠の採取や加工等の機密事項を聞き出そうとしてきます。
奴奈川姫はそれを断固として断り、離縁して国に戻る決心をします。
そして家を抜け出すのですが、祖国への逃避行の途中で大国主命に使わされた軍隊につかまってしまいます。
帰国を断念した奴奈川姫は、そこで自害してしまうのです。
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このお話は日本で最も古い歴史書と言われる古事記に記載されています。
古事記は文明天皇の命により、推古天皇(593-692年に在位)の時代までの日本の歴史を文字に書き起こした書です。
つまり、奴奈川姫伝説は、7世紀後半までに起きた出来事として日本の歴史書に記載されていて、それまでの期間、日本では翡翠が産出されていたということがわかっているのです。
実際、前回も話題にした奈良の正倉院にも、翡翠の勾玉などが保存されているのです。
ですがそれ以来というもの、日本の歴史からひすいはすっかり姿を消し、なんと昭和13年に糸魚川で発見されるまで、日本では翡翠が産出されていなかったのです。
翡翠の秘密を保持するために命を絶った、奴奈川姫の伝説と
どこかでリンクしているような出来事と感じてしまいます。
翡翠は古代、国を司る有力者の持ち物として、大切にされてきました。
日本にはほかにも、赤や緑などのメノウが産出されていましたが、
その中でも緑色の石はことのほか大切にされていたようです。
ですがどんなにきれいな緑色の石であっても、本物の翡翠ほどの霊力、パワーはないともいわれ、呪術や儀式では何よりも翡翠が必要とされ、お守りとしても使われていました。
いかがでしたか?
日本における翡翠の持つ特別な意味合いを感じ取っていただけたでしょうか?
本日も最後までお読みくださりありがとうございました。