こんにちは。
今日も見に来てくださってどうもありがとうございます。
とてもうれしいわです。
今日は夏の土用、丑の日ですね。
土用は季節と季節の間の18日間の事です。
季節は4つあるから、土用の18日間は年に4回繰り返されます。
日にちは昔は干支の十二支で表されたから、十二種類。
土用の中の、今日は丑の日ということです。
ふふ。
うなぎ、食べたいですね。
土用は季節と季節の入れ替え期間にあたるため、
一般的には体調を崩しやすいといわれます。
そのため精を付けましょうということで、ウナギを始め、うの付く食物を取るように、なんて言われているのですが・・・、
ウナギを食べる習慣というのは
陰陽五行説をもとにした医学から来ているのですね。
ところでその漢方医学って、中国の医学だと思っていませんか?
違うのです。
中国の陰陽五行説を元にして、
それを日本で独自に発展させていったのが漢方医学。
特に江戸時代には蘭学が入ってきて、西洋医学と伝統医学の折衷された医学として更に発展していったのね。
漢方医学は日本の伝統医術なのですよ。
江戸時代の蘭学と言えば、
忘れてならないのは平賀源内と言う人です!
ご存じ、土用の丑の日にウナギを食べることを提唱した最初の人が源内さんだったと言うことなのです。
そう、このひと。
封建社会の異端児、日本のダヴィンチと、
私は呼ぼうと思います。
どうぞお調べください。
いろいろ出てきて、なるほど興味深い人ね~と言うことが解るはずですよ。
ところであたしが特筆したいと思ったのは、
日本でダイヤモンドを初めて文献に登場させたのは、
この平賀源内さんということなのです。
彼は讃岐の高松藩出身の武士、子供の頃から天才少年だったため、長崎に遊学したこともあるのです。
天才過ぎて、身分を捨てて脱藩したのでしょう。
お家中心の封建社会では、
きっと好奇心と才能を伸ばしきれなかったと想像します。
長崎遊学で得たのは西洋学問でしょう。
オランダ語とか、西洋医学とか、西洋文明とか、文化芸術、
いろいろだと思いますが、
そのどれもが興味をそそったのだと思います。
楽しくてしょうがないくらいだったことでしょう。
この頃、源内に紹介されたダイヤは、
長崎に立ち寄ったオランダ人商人が持ち込んだもの。
当時、日本人は誰一人としてダイヤに関心を示さなかったそうです。
結局取引されることなく、そのままダイヤは日本を素通りしてヨーロッパに持ち込まれたのだとか。
当時ヨーロッパでは、やっとインドへの航海ができるようになったばかりで、
とにかく希少価値の高かったダイヤはどんな王侯貴族もほしがる品物だったのです。
ダイヤをガラスや水晶と同じ扱いをするような日本に、
頼んで取引してもらう理由などなかった事でしょう。
なぜなのでしょう~??
ダイヤのオーラは日本人には見えなかったのでしょうか?
コロナウィルスみたいに、なにかが日本人からダイヤの悪魔的魅力を遮断させたように思えてなりません・・・。
もしも。
そこでダイヤモンドの魅力に気付いた日本人がいたのなら、
日本の宝飾品の歴史、
だけではなく、
もっと大きく違う歴史になっていたのではないでしょうか。
大げさに聞こえるかもしれませんが、
ダイヤの奪い合いで世界では歴史上、
たくさんの流血があったのは事実なのです。
王が殺され、国が滅ぼされ、それでも人はダイヤをほしがった。
ある意味、源内がダイヤに魅了されなかった事は、
日本にとってラッキーな出来事だったのかもしれないですね。