世田谷パブリックシアターで、三谷幸喜さんの作・演出のシス・カンパニー公演

「ベッジ・パードン」を見て、大いに笑い、そして涙してきました。
(ネタバレありますので、未見の方はご注意を)

夏目漱石、倫敦(ロンドン)留学中の物語、三谷幸喜さんの初のラブストーリーだそうです。

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出演は、野村萬斎、深津絵里、大泉洋、浦井健治、浅野和之、いつもながらシス・カンパニー、凄いメンバーでございます。

「ベッジ・パードン」というのは、漱石、3軒目の下宿の小間使いの愛称。口癖の「アイ ベッグ ユア パードン(I beg your pardon)」。「もう一度お願いします」と聞き返す言葉が「ベッジ・パードン」と聞こえたことから、漱石が彼女につけたものです。

ロンドンの下町イーストエンド、切り裂きジャックがでたあたりの出身でコックニー訛りが酷いんですね。
(この辺りのことは、倫敦消息(→青空文庫)に出ています)

あだ名をつけるのが得意の漱石。倫敦留学では神経症を患っていたと言われる漱石ですが、三谷さんの想像も漱石の日記、手紙を手がかりにどんどん膨らんで参ります。

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座席に座ると目の前の緞帳(どんちょう)が倫敦の地図になっており、もうベッジ・パードンの世界が始まってます。
(美術・種田陽平)

そして緞帳があがると、窓がある下宿の建物の上部の壁が現れる。その最上階の窓の向こうに働き始める小間使いアニー・ペリン(ベッジ・深津絵里)の姿が。

わっ、若い!映画・悪人では年上の女性の憂いを見せてくれたましたが、今回は、キュートな声でちょっと頭が弱く、がさつだけど、ともかく働きもののベッジを好演します。ただ、どんなときにも憂いある優しさを見せてくれるのが深津さんです。

ま、舞台は歌舞伎などを筆頭に、いつまでも娘役が演じられる魔空間だからね。
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1990(明治23)年12月6日の朝。ロンドン、フロッドン・ロードにあるブレッド家の3階に日本人留学生、夏目金之助(野村萬斎)が越してきます。階下には流暢な英語を話す、陽気で社交的で面倒見のよいナサニエル商会のロンドン駐在員・畑中惣太郎(大泉洋)が住んでいる。

金之助は10月から留学しているのだが、日本で英語教師をしていたのに言葉は通じず、ブレッド夫妻、英文学を教わるクレイグ先生の前では口が重く、男性に積極的なブレッド夫人の妹ケイトも苦手だ。(全て浅野和之が演じる)

気軽に話しができるのは、訛りが強いけど気のいい働きもの女中アニー(バッジ)だけ。彼女によれば、それは彼女を低く見ているからだという。金之助にすれば階級社会で差別されるバッジも平気で猿に例えられる日本人の自分も同じだと思い、次第に心を通わせて行く。

そんななかバッジの弟グリムズビー(浦井健治)が現れる。1991年1月22日にビクトリア女王が崩御、その盛大な葬儀のなかある計画を金之助に持ちかける…。

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫)/夏目 漱石

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言葉については、のだめ方式(映画のだめカンタービレでフランスでの話なのに全員日本語を話す)というのでしょうか。冒頭だけ英語で解説が入って全部日本語になる。ですから、とくに前半の金之助のたどたどしい言葉は、英語が不自由な状況を日本語で再現するとこうなんだろうと思わせ、笑えます。

一方、日本人同士の日本語の会話も禁じる弁舌爽やかな惣太郎は、実は日本では秋田の方言が抜けずいじめられてた。コンプレックスの塊で、英国でも言葉は喋れても実際は受け入れられてない自分を感じている。

「一見『陽』に見える表面とは違うものを抱えた、複雑な役(パンフより)」大泉洋さんが複雑?それだけも笑えそうですが笑えないブラック大泉を見せます。

翻訳の日本語とそうでない日本語。その辺りの切り替えも面白く、これからはベッジ方式というのでしょうか。

金之助には、自分が上手く会話できる英国人以外は、全部同じにみえる。精神が衰弱していく証拠ですが、舞台では「叔母との旅」で第18回読売演劇大賞最優秀男優賞を受けた浅野和之さんがひとり、そのときの10役を越える11役を演じるのも、金之助にとって見える世界を現わすため。

一瞬で様々な役に変身するのは、さすがと思わせますし、笑もとれる。犬まで喋っちゃうのはズルいですが、演じてるほうも楽しそうで見てるのはもちろん楽しいです。

(ハロルド・ブレッド/電気工・サラの夫、サラ・ブレッド/下宿の女主人、ケイト・スパロウ/サラの妹、ウィリアム・クレイグ/シェイクスピア研究家、ハモンド牧師/クレイグの友人、セントクレア夫人/クレイグの友人、ビクトリア女王、ブラッドストリート警部/スコットランドヤードの刑事、弾丸ロス/お尋ね者、ミスター・ジャック/犬、モラン大佐/退役軍人)

ベッジが身を犠牲にしても守りたい、可愛い自慢の弟、浦井健治さん。ちょっと残念なのは、扮装が激しくてお顔が見えない…。

ベッジと金之助が交流を深めるひとつに、風刺の効いた日本語の替え歌を教えるところがあるのですが、できれば浦井さんにも歌い踊る見せ場を一瞬でいいですから…。それがないのが三谷流だというのも分かるのですが、嫉妬してないよね~。

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そして夏目金之助である野村萬斎さん。まだ、小説を書くなど思いもよらず、通じない英語教師でしかない金之助。前半はたどたどしくしか喋れず、後半、何とか話せる様になっても差別を受ける日本人でしかない。いや、相手には悪気などなく、差別以前のただ物珍しい存在。珍獣である。

何よりも自分自身が何者か分からない。自意識だけは十二分にあり、背負っているものに押しつぶしされそうになる。そんな男を自然に演じてる萬斎さん、これがいい。

浅野さんをはじめ、大泉さん、浦井さんとハジけるなか、自分は面白い人間だなどとはまったく思いも寄らない夏目金之助そのまま。

自分をまったく普通だと思っているが、30代半ばで妻子があり、その妻が妊娠までしているのに、望んでもいないのに、国費で留学までさせられてしまう男が普通な訳ない。

国にとっては留学させたい人物、何より優秀な頭脳、シニカルな眼、そして惣太郎が嫉妬するユーモアのセンス。言葉などしゃべれずとも英国人の好むものをすべて備えている。階級社会に認められる男だ。

ベッジが喝破したとおり、彼女との関わりは身分違いなのである。そして男としての優しさのつもりが、男として手酷いことをしてしまう。その手酷いことも含め、金之助を創作に導く、変えるベッジは、漱石誕生のミューズなのである。

倫敦には、のちの漱石となる源のすべてがあり、その中心にベッジがいる。

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生誕50周年の「三谷幸喜大感謝祭」演劇新作上演全4本。そのうち「ろくでなし啄木」「国民の映画」「ベッジ・バートン」3本が上演されました。個人的にも奥様との突然の円満離婚?など、驚くことばかりです。

「国民の映画」は見られなかったのですが、「ろくでなし啄木」といい今回といい、どちらも共通するのは、ものを作る人間についての造形です。創作をする人間は、どうしてもろくでなしになってしまう。人を求め、愛し愛されることが必要なのに、どこか人間として破綻する。

啄木、漱石に自分を重ねるように、創作の源泉を探そうとする三谷さん。そこには必ず愛があるのですが、その愛は求めても求められないもの。そういうものに自らしてしまう。創作をする人間の業、わがまま、身勝手さを繰り返し描いているような気がします。

そんな漱石の前身、夏目金之助そのもの野村萬斎さんもやはり、そうい業のものなのでしょうか。

私は以前、萬斎さんの「敦―山月記・名人伝」を拝見したことがあります。ご存知の創作のために虎になってしまうお話と弓の存在すら忘れてしまう弓名人の話。中島敦の小説をそのまま狂言にしたもので、それはそれは素晴らしいものでした。このとき彼の才能に惚れ惚れしたものです。

しかし今回の深津絵里、大泉洋、浦井健治、浅野和之、みなさん創作のためには、虎に変身するのも厭わない人たちばかり。そんな才能ある人たちがきらめく舞台です。

ま、すでに犬になってる人もいるし、深津さんのキャット・ウーマンも見てみたいなあ…。

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