青山円形劇場で上演されているシス・カンパニーのお芝居「叔母との旅」マチネ、3時からの回をみてきました。
(いつものようにネタバレありありですので、未見の方はご注意を)

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出演は男優四人、段田安則、浅野和之 、高橋克実、鈴木浩介。もう、メンバーを見ただけで、これは手強い役者たちの芝居だとわかりますね。

原作は「落ちた偶像」「第三の男」など、小説家であり、映画の脚本も手がけるグレアム・グリーン。

今回上演のバージョンは、英国エディンバラ出身の演出家・俳優・劇作家のジャイルズ・ハヴァガルが劇化したもの。94年には「演劇集団円」(翻訳・演出:安西徹雄、出演:橋爪功、有川博、勝部演之、吉見一豊)で上演されたらしい。

今回の翻訳は小田島恒志さん。演出は劇団カムカムミニキーナの松村武さん。

なんといっても今回のポイントは、4人の男優で20数人の男女を演じるだけでなく、ひとりの主役を4人で演じるということ。それも衣装は、4人ともスーツ姿のまま。休憩をはさんで、南米風な衣装に変わるだけで、多少の小道具は使ってもそのままで、いろいろな人物に一瞬でなり変わる。

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50代半ばでダリアを育てるだけが楽しみの隠退生活を送る元銀行員の独身男ヘンリー(4人が交互にあるいは同時に演じる)。ある日、母親の葬儀に叔母のオーガスタ(段田)が50数年ぶりに現れる。

70代後半ながら、若い黒人青年ワーズワース(高橋)に愛されているが、マリファナが絡んだり、どうも様子がいかがわしい。ヘンリーが実子でないことを匂わせたり、思わせぶりな態度で、旅へと誘う。

ロンドンからブライトンの国内旅行を手始めに、パリからオリエント急行でイタリア、トルコのイスタンブールへ。さらには、南米アルゼンチンのブエノスアイレスから、パラグアイのアスンシオンへ。

奔放で常識に囚われない叔母に振り回されるうちに、いつしかヘンリーのなかに違う感覚が芽生えてくる。そして彼の母親とは・・・。

女も口説けず、真面目一方に生きてきた男が、年齢も人種も国も関係なく、自分の感情に忠実に男を追いかけていく叔母に引きずられ、悪といわれるもう一方の世界に踏み込んでいく。


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段田さんは、主役のヘンリー以外には、叔母のオーガスタだけですが、髙橋さんは、黒人青年ワーズワース。叔母がパラグアイまで、追いかけていく謎の男ヴィスコンティなど、叔母の愛人を中心に担当。

浅野さんは、列車で偶然となり合わせる若い女から、ヘンリーの恋人など、ヘンリーに関わる女担当で、鈴木さんは、その他、台本には「二言程度しか喋らないけれど重要な役割を担う」とある役柄。犬にまでなる。

パンフを読むと皆さん役づくりには、ご苦労したようですが、舞台ではそんなことは微塵も感じさせず、瞬時にいろいろな役柄なに変わり、笑いを呼びながら、目まぐるしく、テンポよくお話は進んでいきます。

主人公のヘンリー・オーガスタの独白のような形で舞台は進むのですが、私のなかでは有名監督の一編の映画を見たような感覚が残りました。

旅といいながら、南米のアスンシオンまでいくのですから、フツーなら「墜ちていく」のでしょうが、そんな湿っぽくはなく、もっと乾いたハードボイルドな・・・やっぱり、キャロル・リードの第三の男風かな・・・。光と影が際立つ、カラーを感じるモノクロの世界ですよね。

ぜひとも、ジョージ・キューカーが監督したという映画も見てみたいもの。プロジューサーはやっぱり、セルズニック? 北村さんで充分かあ…。

終わったとき、「面白かったわね~」と後ろの方が、話しておられましたが、軽快で楽ししく、かつ見ごたえのある芝居に仕上がっております。何より実力ある男たちが楽しそうに演じているのを見るのはやっぱり楽しい。しかも、見る側の想像力がかき立てられる。

でも、でも…実はこれ…こわ~い芝居だったんです……。というか、ちょっと考えてしまった。想像が飛びすぎてしまうのです。

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主人公であるヘンリーは若くはありません。早隠居を決め込むほどに、安定を求めている男。それが、アイデンティティ・クライシス。思春期でなく、老年期にむかえる。そして、飛び込んだ世界はある責任とともに明日を憂えることのない世界。

なぜならやってくるのは、大きすぎる厄災なので、悩まなくても向こうからド~ンとやって来る。それを受け止める。野垂れ死ぬ。そんな覚悟さえあれば、いいのです。究極の自己責任の世界。

この作品は、グレアム・グリーン65歳のときの「楽しみのために書いた唯一の小説」「老いと死についての滑稽な作品」のつもりで書き始めたもの(パンフより)だそうです。

映画「第三の男」のあまりの成功のため、原作も名作とするのは過大評価だという説もありますが、彼は 一貫した共産党シンパ(共産党の実態が露見したあとも)であり、一貫してさまざまな悪の魅力を書き続けてます。

なかなかに若い女性好きのようで、シャーリー・テンプルへのセックスシンボルであるというような批評で問題になったり、ハイチで少女買春の疑いだの歓楽地のブライトンで若い少女を求めていたという証言もあります。

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そんな彼が書いた「叔母との旅」は、老人の夢のようであり、私にはなぜか西洋版楢山節考のようにも思えました。なんでそんなこと、思ったのかは分かりません。

ある域を超えた老人たちがゆくところという意味かなあ。もちろん、日本のお山とは大違いですが…。ワルプルギス的なものとなぜ結びついちゃうのでしょうか。善悪こえたところにあるお話だからかなあ。

その山はこの世でないひどく死に近い異界。魔の山です。付き添い人は、引き摺り込まれ、歯が折れれば頑丈な入れ歯を作り饗宴は続く。でも足を踏み外せば、骨の転がる谷底に落ちる。老いるとはあるモラルから果てしなく自由になることだ。そんなユートピアな世界がみえてきます。

最後に、より大きな悪徳の前で、善的になってしまったワーズワースの屍を越えて、ヴィスコンティと結婚し、ワルツを踊り続けるオーガスタ。この80半ばと70半ばの男女の姿は、明日の希望など信じなくとも、いまこの時だけを生き続ける歓喜の姿。

「明日を思いわずらうな」「善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや」

神にも仏にも近い姿に思えます。ましてやほんまもんの仏教では、死後の世界などなく、死は無であるそうですから、地獄がないのは、それはとても救いに思える。悪は差別的でなく、死に馴染み易い…。

・・・おお、なんだか、ひどく哲学的になってきたけど、老人が思い煩う明日って、弱っても死なない世界だよね・・・。

「叔母との旅」は、ヘンリーに代わり、いつしか自分が旅していたようですが、どちらかといえば、ヘンリーより叔母に近い私は、いつまでもワルツを踊る自分を夢想するのでした。

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それにしても、パンフの「旅へのいざない・・叔母との旅はおいくら?」というのはよかったです。

合計で2人ぶん4,348,900円。食事代や諸経費をいれれば、最低でも5~600万、1千万ぐらいないと楽しい旅行はできないのね。

老後は、やっぱりお金がなきゃ、「夢」は見られないわね。「自由に生きるにはお金かかる」といったのはサガンだけど、年金たよっているようじゃ、だめだわね。これから、稼がねば……。

「夢」が急速に遠のきました。・・・・・・・・ショボーン。

「おい、めたぼっち、やっぱり「悪」はお金がかかるよ」と
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