明けまして オメデトウございます。
門弟が描いた松陰の肖像画(山口県文書館提供)
■人は本来、仁愛や慈悲の心を持っている 安政2年元日、野山獄で
152年前の安政2(1855)年元日。吉田松陰が2歳下の妹、千代にあてた年賀状はこんな風にはじまっている。
《まずは新年おめでとうございます。でも、なぜこう言うのかしっているか?
「目出度(めでた)い」というが、この目というのは目玉のことではない。目玉がともに元日早々に出て行ってしまったら、ろくなことになるまい。目というのは木の芽、草の芽のことじゃわい。草木の芽は冬至から、一日一日と陽気(はるのき)が生じるに従って萌(も)えいずる。この陽気というものは物を育てる気のことで、人の仁愛や慈悲の心と同じ、天地にとっても人間にとっても好ましい気なのじゃ。
陽気が生じて草も木もめでたいと思うのが「御(お)目出度い」。一方、大晦日(おおみそか)が明けると人は、気がしゃんとして、投げやりな気持ちも汚れた心もみな洗い流され、本来持っている仁愛や慈悲の心が生まれてくる。これは、ちょうど草木の芽が出るのと同じこと。だから「新年おめでとうございます」なのじゃ》
文面からは信じがたいことだが、24歳の松陰は当時、故郷・萩の牢獄にいた。約8カ月前に海外遊学を目指し、下田港に停泊中の米国艦船に乗り込もうとして失敗した罪に問われたのである。
海外渡航は国禁であり、死をもって償わねばならぬ重罪だった。ところが、幕府の裁決は「帰国のうえ、蟄居(ちっきょ)を命ず」。だれの目にもすこぶる寛大だった。
◇
5年近くがたった安政6年10月6日、松陰は今度は江戸・伝馬町獄にいた。そして門弟につづっていた。
《取り調べを行った3奉行がわたくしを殺すつもりであるのなら、いわねばならぬこともありますが、この3奉行は、ほんとうにわたくしを愛してくれましたから、あまりものを申さぬようにいたしました。死罪は免れるでしょう。追放なら望むところですが、これもないでしょう。処分が重ければ他家預かり、軽ければ前例にならい、帰国のうえ、自宅蟄居という次第ではないでしょうか》
不当逮捕だった。しかし、松陰は、取り調べの場で「われに死罪あり」と未遂に終わった「老中要撃(暗殺)計画」を切り出した。さすがに「要撃」ということばは用いず、幕府の開国派のために朝廷工作をしていた老中に直訴し、その行為を「なじろう」と考えていたのだ、と力説した。
松陰は、辛うじて武士の身分にとどまっていた。しかし、“前科持ち”の田舎の私塾の教師である。幕府の主要閣僚である老中の暗殺計画はおろか、直訴を行うことでさえ、身の程をわきまえぬ振る舞いであった。
当時は「幕末」ではあったが、まだテロの時代には突入していない。幕府と諸藩、浪人たちが文字通り血で血を洗う抗争を繰り広げるようになるのは、松陰がその渦中にあり、後世が「安政の大獄」と呼んだ国家テロ事件以降のことだ。
手紙をしたためながら松陰は信じていた。独立が危ぶまれている国を思うまごころ、至誠が通じ、幕府は再び寛刑で報いようとしているのだ、と。
松陰はしらないはずである。自分にはあと3週間ほどの命しか残されていない、ということを。だが、ひとの「性善」を信じ、底抜けに楽観的なようでいて、どこかで自分の死期を悟っていたのだろうか。松陰はまな弟子の高杉晋作にあてた同じ日の手紙をこう結んでいる。
《万一、首を取られることになりましても、それは天下に認められた志士としての死。これもまたよし。さきに病死した友人や門弟にあっぱれな最期を誇ることができましょう。呵々(大笑)》
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幕末を駆けた青年志士(彼にはいくつも肩書があるが、これが最もふさわしい、と思う)吉田松陰というひとをきょうから何カ月かをかけて描いてみたい。
彼は、あらゆる方向に進んで行こうとする。が、常にどこかでつまずき、迷う。絶望し、後戻りもする。しかし、そこからまた2歩も3歩も前に進む。
例えば、死生観。彼はその短い一生の晩年、何度も死を決し、死を願うが、一方で死を畏(おそ)れもする。そしてついに、「他人の評は何ともあれ、自然ときめた。死を求めもせず、死を辞しもせず、獄にあっては獄で出来る事をする、獄を出ては出て出来る事をする」という心境に至る。
それが松陰なのである。彼という存在はわかりやすそうでいて、難しい。
一つ、松陰に近づく方法がある。
彼は自分のことばに忠実であろうとした。前後に多少矛盾はあろうとも、彼の一生は、ほとばしることばと一体であり、彼のことばはそのまま彼の行動であり、人生そのものだった。
連載の主人公は、松陰というひとと彼のことばである。この連載を通じて、読者のこころの中に一つ、あるいはいくつかの松陰像が実を結ぶことを、筆者の至高の目的としたい。
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本日のオピニオン面は新連載『ひとすじの蛍火-吉田松陰 人とことば』の第1回「序」を中心とした特別紙面でお送りします。『ひとすじの蛍火』はSANKEI EXPRESSに連載中の同名の記事に加筆・修正を施したものです。
(2007/01/01 08:23)