ストーリー
1896年(明治29年)、大分県宇佐郡のとある田んぼの脇道で、女の赤ん坊が捨てられていた。
「須磨子」と名付けられたその赤ん坊は地主の家で育てられることになるが、彼女が来てすぐ、村には数々の不幸が続いた。
地主の正妻が亡くなり、正妻との間に子どもがなかったことから、地主の家では後継者争いが起こった。
地主一家内部は崩壊し、村全体の統率が取れなくなる。
更には悪天候が続いて作物が実らず、病気が蔓延し、村人は貧しく辛い暮らしを強いられた。
飢餓と病に苦しむ彼らは強奪をし、家族を失った者が半狂乱に。
いつからか、村に起きた不幸の連鎖を「須磨子が来たせいだ」という噂が流れ、たちまち村中に広まる。
須磨子をあずかる地主一家も腫れ物のように扱い、蔵のひとつに彼女を幽閉した。まだ5歳に満たない年齢である。
数年の後、長い不作が終わり、地主一家の後継者争いが治まり、平穏な宇佐が戻ってきた。
しかし須磨子への迫害は続いていた。
彼女を追いつめ苦しめることが、村の平和につながると彼らは信じて止まなかったのだ。
義理の両親は言葉で須磨子を罵り心を傷つけ、
きょうだい達は竹で叩き体を青アザだらけにした。
村人たちも、面白半分で蔵の外から暴言を浴びせ、石や泥水を投げ入れた。
蔵の中で須磨子はひとり、自分の境遇を呪う日々を過ごした。
もし、20の年を迎えてもなおこのままだったら、未来はないだろう。
その時までにここを抜け出す事ができれば、今よりきっといい暮らしが待っている。
その日を望んで、それだけを頼りに、彼女は耐えた。
しかし。
望みもむなしく外に出る事もないまま、彼女は20歳になった。
1916年1月、外は新年を祝い豊作を願う祭りで賑やかだった。
同じ年頃の女性たちが笑う声を遠くに聞きながら、
閉じ込められていた須磨子は、獣のように狂い暴れ、石壁に自分の頭を思いきり打ち付けた。
人への憎しみ、自分の人生への憎しみを叫びながら、何度も何度も、壁に打ち続けた。
笑うこと泣くことを知らない、痛み苦しみだけの20年。
蔵の内側を血の赤一色に染め、絶命した須磨子。
その死に様、須磨子の大きく見開いた目は、この世への未練をまざまざと感じさせ、死体を目撃した者に恐怖を植え付けたという。
須磨子の死んだ年、村には謎の病が流行り、錯乱する者暴れ狂う者が続出する。
それはまるで20年前の再来のようでもあった。
村人たちは「須磨子の呪いだ」と噂し、高名な僧侶に助けを求める。
須磨子の怨念を悟った僧侶は、彼女の魂を慰めるため、20の勾玉を用意した。
僧侶の念が入ったその勾玉を、石碑にはめ込み、蔵のそばに祀る。
須磨子と死んだ年と同じ20の勾玉。この前で祈り、彼女の怨念を鎮めるようにと、僧侶は村人たちに命じた。
特に、20年に一度必ず、村一帯に悲劇が起きるはずだから、そのときは特に丁寧に祈ることを約束させた。
年月は経ち、須磨子の怨念を知る者は段々と少なくなっていった。
蔵のあった土地は持ち主を何度か変え、やがて大きな宿泊施設が建つ。
今もなお、異様な気配を放つ石碑だけは残されている。
そして2016年1月。
宿泊施設では悲劇の前触れが起ころうとしていた・・・。