人工授精は初体験だったけれど、何となくだが、特に上手くいっていない予感はしてる。

 

若い頃は自分のメンタルの弱さを痛感し続ける日々だったため、自分のメンタル維持を最優先にする無数の癖が私にはある。

落ちると本当に寝たきりになってしまうのだ。

よく高校も大学も留年せずに済んだと今でも思う。

元々、転落事故で骨がずれてから、体調は30年以上良くない。メンタルで乗り切っている部分がある。

メンタル不調だと、日常へのダメージが、とてつもなく大きいのだ。

好きな仕事で、身体を使わない仕事で、というところにたどり着けなければ、社会福祉に頼るしかなかったと思う。

 

なので、人工授精後、下手に夢を思い描いて、ダメだった時に急落なんて、私の性質上はしていられなくて。

様々な体験談をブログで読ませていただくうちに、徐々に思い出してきた。

20代の頃、子ができず焦り、頻繁に検査薬を使い、膨大な不妊治療のブログを読み、少しでも妊娠可能性がありそうなサインがあれば、それにすがり、信じて信じてまた絶望して。そんなことをやっていたから、ちゃんとした不妊治療は受けられなかった。壊れると思った。当時の不器用な私の交渉力と、弱い立場での雇用状態では、日程調整含め、どのみちかなり厳しかっただろう。

 

今回、若い頃の妊娠へのこだわりを思い出したのが、人工授精2日後のおりものだ。

調べていたら、着床するとおりものが出る、とあり、パッ! と当時のしがみつきスイッチが入った。

よくよく読んだら2日後で着床するわけがないのだ。数日後のおりもの、よくあるらしく。

また当時の蟻地獄にはまるところだった。

 

何だか信仰に似ている気がする。

人類は様々な技術を発展させて、年々思い通りになることは増えてきているけれど

生命に関することは、どうしても、別な気がしていて。

だからこそ、ジンクスはないかとか、神頼みとか、サインとかにこだわってしまう。

 

一方で、結局機能性不妊の正体は何なんだろうとも考える。

原因不明で診断のゴミ箱的なもので、部分的には、医学の発展と共に、別の新しい診断名がつく人もいるんだろうけれど、それだけなんだろうか。

仕事柄、不妊に悩む女性達と、比較的多く関わって来た。

不妊だからそうなるのか、そうだから不妊なのかわからないけれど、似た雰囲気があるようにも思える。

一つは、緊張感が高い。仕事だったり、性格だったり。

もう一つは、体力がない。一見元気でも大きな病気をしていたり、そもそも全然元気がなさそうだったり。

どちらもない人で不妊の人は、夫由来の不妊以外は、自分は会ったことなくて。

そして、自分自身は、両方当てはまる。

 

そんなことも思うだけに、安定して過ごそうとはしていたし

J先生も、リラックス、リラックス、と、笑顔で毎回言われるのは、そういうことなんだろうなと思っていたんだけれど。

仕事がらみで悪いことが続きすぎて、さすがにぐったりしてしまった。

 

妊娠できる精神状態の法則、つかめたら億万長者だよなぁ。

問題に対して、明快な解決方法を探すタイプだから、妊活との相性がずっと悪いのかもしれない。

 

年齢的に、もうそういう可能性はないだろうと、周囲に思われてるのも実は気楽だ。

30代後半までは、正直、同年代でも似たような状況の人はいたし、

何だか期待されているような感覚もあった。

家族以外誰にも打ち明けず、ステルス妊活しているのも、当時と比べたらずっと楽しい。

以前と違い、やるべきことはやって、なので、結果の向き合いやすさは、全然違いそうだ。