抗がん剤治療から1年 | ちぇきっこおばちゃんの独り言

ちぇきっこおばちゃんの独り言

乳がんになりました
治療中に肺に良性腫瘍ができ手術。
乳がん治療終了翌日に白血病がわかり、今、治療中。

昨年の2022年3月31日に最後の抗がん剤(ドセタキセル、ハーセプチン、パージェタ)を打ちました。まだまだ、分子標的薬のハーセプチンとパージェタと放射線治療はありますが、これでつらい副作用から解放されると思ったら涙がでてきて、まだ、副作用が待っているのに、それが終わったあとのことばかり考えていました。  


あっという間の1年。 

あのときは、気持ちが前を向いていました。

やっと終わるって言う嬉しさが私を突き動かしていたように思います。

次は、放射線治療。それさえ終われば分子標的薬なんて抗がん剤のことを思えば軽い軽い。

何をしよう、何を食べようそればかり考えていました。

髪の毛がなくて頭がつるつるでも、眉毛、鼻毛がなくても、

気持ちが前に向いていました。

今は、あのころより体調は、断然いいし髪の毛もベリーショートまで生えてきました。

でも、あのころの前向きな気持ちには、なれなくて…


まず、抗がん剤治療が終わって家に帰った時に、辛い治療を終えた私の気持ちと夫の気持ちに大きな差がありました。

放射線治療のあと、肺に腫瘍がみつかり、転移かもしれないと言われどん底に。

死を覚悟しました。

結局、良性だったので振り出しに戻ったのですが…

あれ以来、不安とともに生きています。

どこかが痛くなれば、転移したのかもって不安になり、しこりを見つけるとガンじゃないかなって


この負のループの沼にハマってしまっていた1年でした。あかんあかん!日常取り戻さないと


そう思えたのは、化学治療室の看護師さんやお医者さんの励ましだったり、同じ乳がんで今も闘病中の友達だったり、学生時代からの友達や幼馴染、そして家族。このブログを読んで下さっている人たちや同じ境遇のブロガーさん。

いろんな方の励ましによって今があるってことに気付かされました。感謝しきれないほどです。

ありがとう!


いまだに身体は、ポンコツ。

でも、短い時間だけど好きな保育の仕事ができている。ご飯も母が作ってくれて独身の時みたい。同居していた家から逃げるように実家で治療して息子を置いてきたので、肩身の狭い思いをしてもらっているけど、大人やし、私が生きるために選択したから許して欲しい。息子のこの先をまだ見たいから


抗がん剤から1年。

もっと治療から解放されて明るく元気になっているって思っていたけど、まだまだ、そこまでには、なれていなくて…来年の桜の咲くころには、昔みたいに笑って明るい私になっていますように


治療もあと、もう少し

「ガンになるかもしれない」って不安は、生涯つきまとう。

でも、これは、健康な人も同じ。

来年こそ、体が少しマシになって、明るく元気に過ごしていますように

小さな幸せがたくさん訪れますように


ありがとう。頑張るしかないな私。

新しい未来が見えてきますように

そう願いながら1年を振り返ったのでした。




来年も桜を見ることができますように