obaabaの井戸端 -14ページ目

obaabaの井戸端

くだらないおしゃべり色々

試合は負けてしまった。


ブルジョワ席観戦だった私には、試合中ずっと紫のスタンドがピッチの向こうに見えていた。


広いビックアーチは,時々,不思議なくらいシーンと静まり返る


それは,攻め込まれて耐えるときもそうかもしれないけど、、、


大量得点を入れて勝っている時でもそうだったりする。



その,緩んだ瞬間に,失点したりするから、
やっぱり,スタジアムって1つの生き物だと思っている。



これは、私の思い入れだろうか。


ゴールが入らなかったした後の「あ~あ」が
磐田戦ではただの「あ~」になっていた気がした。


外した選手が悔しげに頭を抱えたり,自分のほほを打ったりしながらつぶやく「ああ!」



磐田戦の終了前の十数分


ゴール裏は「あ~あ」ではなくて、「ああ!!」と叫んでいたように見えた。




降格のあの日、私はやっぱり同じ場所にいた。
試合内容もほとんど覚えていないその日、私は涙も出なかった。


選手達はピッチに頽れ,立ちすくみ、天を仰ぎ、、、



スタンドは、


スタンドはお互いをなじり合っていた(ように私には見えた)



こんなことが起こるなんて



降格が決まって選手達が泣いているのに。




頭の中が真っ白でなんにも覚えていない



次の記憶は、横川駅のロータリー



家に向かうバスを待つ私たちに



近づいて来たトレンチコートのおじさんがためらいながら聞いた


「今日、どうでしたか、サンフレッチェ」


私は何も言えなくて
一緒にいた子ども達が「勝てなかったんです。すみません。」と答えた


おじさんは、ふう~と大きくタメイキをついて
天を仰ぐと

「寒いのに応援してくれてありがとう。気をつけてお帰りなさい」と言って横川駅JR改札に消えて行った




余談だけど,私は,試合の行き帰りの移動中、レプリカユニは着ない。
これには理由があって,子供のサッカーチームの監督が「ユニフォーム姿で、その辺(グラウンド外、学校の敷地外)をウロウロするな!」と厳命されているからに他ならない(厳命されているのは,子ども達で,親は関係ないんだけど、、、ww)。


やんちゃ盛りの子ども達は,練習場である学校の行き帰りに色々な悪さをする
ユニフォームを着てそれをやると、「◯◯小サッカー部は、、、、」という話になる。
だからそういうことをしたければ、普段着でやれ、そのかわり,ユニフォームを来て歩いている限りは、ビッチの中も外も、「◯◯小学校を代表してサッカーをしてるつもりでやれ」とおっしゃりたいんだと思う。

だけど,その日は,余りに呆然としていて、レプリカユニを脱ぐのを忘れていたんだと思う。


なんで,こんなことを書いたかと言うと


磐田戦の帰り,私は全く同じことを聞かれた



早くから繰り出して,アルコール摂取時間が長かった夫と上司を乗せて上司の車を運転して帰る道すがら、4号高速の支払いブースのおじちゃんに

「今日、どうだった?勝った?」


運転していた私は普通のTシャツ


だけど、後部シートに載っていた夫と上司が寿人の「スーベルヒッポTシャツ」を着ていたのだ




「負けちゃったんですよ」


「あちゃ~」



お金を渡すときのほんの1、2分



町には紫の幟がはためき,子供の学校の運動会や行事にいくと、試合でもらったクーラーバックやエアクッションを持ってる人を一杯見かける。


一年余りのうちに、サンフレッチェはここまで来たんだよねえ,って思う。




高速入り口でぽつ、、ぽつ、、、、ぽつ、、、くらいだった雨は
トンネルを抜け切ったら,しとしと雨に変わっていた



雨に濡れても

随分昔の白黒映画のジーン=ケリーのように、
水たまりをざぶざぶと踏みならして唄って踊ってゆく方が
楽しい人生だったりするのかもしれないな、って。

代表は、「代わりに表に出る人」だから,結局,それは自分自身なんだよね,って書いたけど




京都戦後のサポーターの誰かの行動を悲しく思ってしまったのは



彼(もしくは彼女)は、

では、自分自身に指を立てたのか?と思ったから



涼しいところでテレビを見ていた私とは違う


あの蒸し風呂のような(って、私の過去の「京都の夏」経験からの想像でしかないんだけど)西京極で



ともに声を出し、はねて闘っていたその自分自身に



負けたからって指を立てたのか




そして、もう1つ、


指を立てる


というよりは、「中指を立て手の甲を相手に向ける仕草」が一体どういう意味か分かってやっていたのか



ということ



私の理解の範囲で全く恐縮だけど


「中指を立てる」行為自体には、何の意味もないと思う


「中指を立てて、手の甲を相手に見せる仕草」

が表してるのは


「性的な興奮状態にある男性性器」であり


その意味は「性的に陵辱する」つまり「犯してやる」という意思表示である




日本人にはほとんど考えられないことかもしれないけれど


海外では、レイプというのは日常ごく茶飯事におこなわれているし


女性だけが被害に遭う訳ではなく



ストリートチルドレンと呼ばれる少年達もレイプされたりする
(まあ、自ら生活のため、あるいは薬物目当てに体を売る少年達もいたりするので彼らが被害者だと言い切れないのかもしれないが、、、)





京都戦後の一件自体は、本当にたわいもない話なんだと思う



その人は、選手を辱めたかったのかな



それだったら、その行為は適切だったと思う。



私が悲しかったのは、

もしも、負けて悔しいんだ、怒ってるんだぞ、って伝えたかったとしたら
その行為では、選手にその気持ちは伝わらなかったんじゃないかってこと。



怒ってるのも伝わらないし、悲しいのも伝わらないし、そういうのを「断絶」っていうんだよね、きっと。



断絶したかったわけじゃないよねえ、きっと。




話があっちこっちにいっちゃってますが、、、


試合(磐田戦)は、いつものサンフレッチェのようでいて、いつものサンフレッチェじゃなかった


ほんの5センチ、10センチのズレで収まるはずのボールが収まるところに収まらない。


それは、雨のせいだったかもしれないし、



こんな状況下でのデビュー戦となってしまったタロウ君のために


「先にゴールを」とか、「ゴールは割らせない」とか、心のどこかにあったからかもしれない(それも、ひいき目かな~笑)



収まらない自分たち、を一番感じているのも自分たちで、



それをなんとかしなければ,って思っているうちに



スキをつかれてしまったような気がする。



そして、磐田の選手達には「パスサッカーの看板」や「コマちゃん」や「日本を代表するGKの1人」というプライドが止まりがちな足を支える「何か」だったような気がする。


こんなこと書くと、

お前はどこのサポーターやねん!!

って怒られてしまいそうだけど


私は多分、サンフレッチェのサポータ-であるとともにサッカーというスポーツのファンなんだろう


私は,川口がどういう風な選手人生を送って来たか,詳しく知ってる訳じゃないけど
タロウ君の年齢の頃、川口はメディアとかがいる廊下とかでグラブを投げつけ,壁を蹴り上げ,床に転がりまくって身悶えしながら泣いていた。

どう考えても、これが 公式戦初舞台のGKに負ける訳にはいかないだろう


負けるくらいなら、川口はとっくに引退している。


寄り道が長くなったですね、すみません。



その日の朝、新聞に織り込まれてる日曜版のコラムで読んだ話を思い出していた



コラムニストの息子さんがイタリアに留学して、数ヶ月、「弟の背が伸びたよ」と手紙を書いたら、

ホームステイ先の家族に「そりゃ、そうだろう、こんな食いしん坊のお兄ちゃんがいなくなったんだから」と冷やかされたと返事が来た。

特に大食いでもないのに、何故?
そんなにイタリア料理が口にあったのかしら?

とずっと不思議に思っていたら

仕事でイタリア出張した友達が様子を見ていって、一緒に食事をした時の様子を聞かせてくれて、ようやく、訳が分かった、という話だった


「イタリアでは、人が来ると、皆の分を少しずつ減らして増えた人の分を捻出するのが普通みたいね。息子さんの分け方を見ていて、それに気がついたわ。」


そのコラムニストは続ける


「おそらく、息子は当初,みんなが自分の取り分を減らして彼の分を捻出してくれていたことに気がつかなかったのでしょう。だから食べたいだけ食べて注意されてしまったんですね。

『日本では,人が増えれば食べるものも増やすのが当たり前でしょ?自分の分を減らして人に分けるなんて考えないじゃない。でも,イタリアでは全体の量を変えないで,分け合ってやり繰りする。そんな質素な暮らし方が息子さんにも身に付いたみたいね』

まずは自分の分け前を確保。その上で、余ったら人に分けることを考える。私達の周りでは,こんな考え方が普通のような気がします。でも、全体の量が決まっていて、それを分けるしかない時、変わらず自分の分け前を優先すれば、そりゃあ,注意の1つも受けるでしょう。考えてみると、これは食事だけでなく、資源や農作物など、なんにでも言えることかもしれません。」


苦しいのは選手だけなのか?

苦しいのは,チームだけなのか?


苦しいのは,私達も同じじゃないのかな?



そのときに,私達はどうすればいいのかな、