「あなたの代わりはいくらでもいる」
オーラソーマのティーチャー
倍音(ホーミー)ソプラノ歌手
ソウルサウンドライアー奏者
オーラ顔相人生メイク美容師
この言葉を聞いて、
どんなことを感じますか?
腹立ち?
哀しみ?
罪悪感?
間違っている?
ひどいセリフ?
もし、善悪・とか、
天使の声・悪魔の声、なんて分ける感覚で聞くとしたら、
悪い感覚、
悪魔の声、…だ、なんて、
以前のわたしは感じてました。
「誰かの代わりなんて誰にもできない!」って
最近は、
「誰かの代わりなんて、いっぱいる。
だから私たちは自由で、自由意思でしかない。
自分の人生は、自分の経験のため・でしかない。」って。
世の中も、社会も、
私が、誰かが、
急に居なくなっても、
ずっと、ある。
多少困ったり、
寂しかったり、 は、あっても、
補ったり、変化したりして、
変わらず、時間は流れてゆく。
私が、あるいは誰かが、
果たすべき何か、
やるべき何か、
達成すべき何か、
解決すべき何か、
分かち合うべき何か…
そういうものは、何もなくて。
だからこそ、
自分が経験したいから、
やりたいから・やる、
居たいから・いる、
魂の好奇心からの経験を、
一人ひとりがしに来たんだと。
「私・という人間が、
経験してみたいので、
勝手ですが、やらせていただきます」・みたいな
経験、それが、
その人ごとの使命・目的なんだと

私で例えたら、
オーラソーマのティーチャー→いっぱいいる
倍音(ホーミー)ソプラノ歌手→あまり多くはないだろうけど、
歌を歌う人はいっぱいいる
ソウルサウンドライアー奏者→いっぱいいる
オーラ顔相人生メイク美容師→メイクする人ならいっぱいいる
役割・として、自分を、誰かを見るとき、
代わりはいっぱいいるし、
代わりすら必要ないものですら、あるかもしれない。
妻としても、
母としても、
娘としても
姉としても…。
でも、
自らの好奇心で惹きつけられたもの、
慈愛の感覚からのもの、
感謝から沸き起こること…
その経験たちは、
誰を通しての経験だったか、
どんなタイミングでの経験だったか、
過ぎてみたとき、初めて、
かけがえなく、
代わりのない、
一期一会の経験だった、
ということは、間違いなく



だからこそ、
一人ひとり、唯一無二の存在で、
どんな人も、素晴らしい存在だ・ということを経験しています





これまで、
真理・の、"結果"から知って、
そこをほじくっていたような感じ(笑)
「私・が、私という人間として、
誰か・が、誰かという人間として、
生まれてきた意味とは
」…という穴掘り
」…という穴掘りターコイズの感覚、
「私は誰か?を問い続ける経験」
…の一面を、自分の中に発見した感覚です





世の中のため、
誰かのため、
何かのため、
…からのスタートではなく、
自分の好奇心から、
慈愛から、
感謝から…の選択。
そして、
そのプロセスの結果、
世の中にとって、
誰かにとって、
何かにとって、
役に立ったり、ありがたいことだったり、かけがえのない存在だったり、するかもしれない。
でも、本人は、
そこを気付かないくらい、がちょうど良い
気づいたら、
承認欲求と、背中合わせ
…なことを思い出してみる
…なことを思い出してみる悪魔の声って感じていた
「あなたの代わりはいくらでもいる」…は、
本当の、
あるいは、
わかりやすい天使の声の、
その先にいる、
わかりにくい天使の声、な気がします


今日の美しい空を見て、
そんなことを感じてました





「わたしの代わりは、いくらでもいる」
昔は、寂しく、存在価値を否定する言葉に感じていたけど、
今は、だからこそ・って、感じる経験があります





