大粟神社宮司です。

令和二年、二月十一日は建国記念の日でした。

全国の神社では、紀元祭と言う規模からいうと、中祭にあたり、斎服という冠をつけた装束で神職が祝詞を奏上する厳粛なお祭りでした。


写真は以前の中祭の時のものですが、真っ白な袍に白い単(ひとえ)と白の差袴、冠が斎服です。

今回は1人奉仕で、装束も1人で着けたので写真がありません💦


朝から阿閇宮、腰宮と朝拝を御奉仕してから準備をしましたので、急いで斎服を纏いましたが時間がかかり、祭の開始に余裕がなく冷や冷やしました。


上一宮大粟神社の御祭神は阿波そのもの。
偉大な食物の女神であり、阿波国そのものである大宜都比売大神さまです。

徳島のみなさまにはこの事実をもっともっと知っていただきたい。
徳島は食物の女神さまそのものなんです。

食物は命そのもの。
命を生み出す女神さま。

あらゆる神々の中でも最も偉大な女神さまであり、誰もが食に関わるのです。

大粟神社は阿波の誇りです。

紀元祭とはいえ、
大粟神社は
偉大な女神さまを称え、
阿波のすべての平和と発展を祈り、偉大なる女神さまを称えました。
また、食物の女神である大神さまを称えることは、必然的に世界の平和、国家の安寧を祈ることです。

上一宮大粟神社の祈り。
精神的な充実は、神聖な霊威と人を合一するために必須です。

私は現代的に
「チューニングをあわす」
とよく言っています。



 日々の生活で、深く哲学や神学に携わり、神を伺う。
しかし、祭礼になると祈りに「余計な雑念」は妨げになります。
 積み重ねた思索や、祭式の学びは学びとして、そこから独立しなくてはいけません。

 大粟山の霊威に自らを融け込ませる。これがチューニングです。

 大粟神社は太鼓の祝詞です。音楽的な祝詞なのですが、自然に融け込ませるということは、太鼓も祝詞の音声も定型であってはならない。

 宮司になる前は教育学の研究をしていましたので、元来わたしは基本を大切にします。
 神道学にしても山のように教科書をよみ、原典にあたります。
 しかし、祭はこの基本からいつも離れていこうとします。
 山のように学べばその時点で基本が染み付いています。その基本からあえて離れようとすると、チューニングという概念にいきつきます。



雑念を越えて、
真摯に神々に向き合う。

祭りで最も大切にすることです。




神学者であり、実践者でなければ神道学を修めたことになりません。


18、19歳のころ、神道学を学ぶ中で私は神職とは何かと思い悩みました。

20代では、神職ではなく哲学と歴史学を追究していました。
職業を持ち、私は世俗の中でやはり若い頃に追究した哲学をもとに、日常で懸命に誠実に生きてもままならない不条理について、現実に即して思索を重ねてきました。

神職として朝から晩まで若いうちからつとめる可能性はありました。
しかし、世俗の中で自らの哲学を深める20年近くにわたる経験は、やはり上一宮大粟神社宮司を継承するために必要だったのではないかと思います。


紀元祭。

始めに帰る祭りです。

阿波の紀元を祈り、

改めてわたしは
宮司としての原点に立ち返ります。

蘇りが神道とかつて教わりましたが、

18歳に比すると、神道家としての自覚は「不惑」になりましたが、
神学にしても、神社復興にしても
迷い苦しむ日々です。

信仰は試される。

これも私の言葉ですが、
迷い苦しむ日々の中にやはり喜びもあります。



何もないところから
神職としての実践がはじまりました。

全てが用意されている中で、
若い時に信仰が深まったのか、、
私に関しては甚だ疑問です。

何もないところから、
一つ三方があたらしくなる。

お参りの方々が嬉しそうにお越しになる。


私はこの日々によって得られた経験から、神道の本質を感じています。