大粟神社宮司です。


本日は所務がございまして、本社を留守にしてご不便をおかけしました。


朝からずっとつめておりまして、
時間はあるのですが、その場所から動けないという状況でした。

しかし、
幸運なことに待ち時間に、本などを読む時間がありました。
おまけに、図書館があり

古事類苑という明治に編纂された
国史、国文の一大百科事典がありました!

中国思想などの分野ではこういった、
あらゆる書籍から情報を集めた
専門書を「類書」というのですが、

我が神道学には
古事類苑があるわけです。

ちなみに、
神道学研究の大系には、


群書類従
続群書類従
神道大系
国史大系
日本思想大系
などがあり、
あとは
国文の大系が研究には必要です。



宮司は
神道学、中国道教を研究しており、
歴史教育学の専門家ですので
個人の
蔵書としては中々楽しい図書室になっています。

史料や原書、研究論文、辞典や諸外国文献など、史学や哲学、文学、神道学を研究するための書籍を集めておりますから、
大学の研究室並の書籍はありますし、
専門的なものばかりですから
公共図書館にもない書籍ばかりです。


妻には置き場所がないと叱られますが、研究には書籍は不可欠。
しかも電子媒体は使い易いとは思いますが、やはり紙媒体が良い。

本日待ち時間で滞在した
図書館に何故か
古事類苑はありまして、私としては幸運以外なにものでもありません。

すでに研究者モードにはいり、神祇部と服飾部を書棚から取り出し、漢和辞典も取り出したら、机にどかっと置き、読み始めます。

いきなり、見たこともないような分厚い本を開いて漢文を読み出すので、一緒に待っていた数人は目を点にしていましたが、、


古事類苑はなかなか大きな図書館にしかありません。
電子媒体は読みにくいですし、やはり図書館で自分の世界になって読むに限ります。

学生時代からの鉄則。
鉛筆、またはシャープペンシルでメモです。


重要書に事故がおきないためです。

大変申し訳ないのですが、研究を始めるともう史料と対話が始まります。

うるさくはないですが、漢文訓読を小声でやっていたり、ひとりつっこみをしたりしているときもあります。

、、ですから書斎に山のような史料と原書を並べてご迷惑にならないようにしているのです。


本日は神祇部はそこそこにして、
服飾部から有職故実(ゆうそくこじつ)を研究しました。

いわば、古代から中世の公家や武家の服装についてです。


以前のブログで
我々神職は祭式における服装が厳格に規定されているとご紹介しました。


もちろんそれは現代で決めたものですが、背景には服装の歴史があります。




皇学館大学や国学院大学の神道学専攻や神職養成機関で、教科書をもとに概説は学びます。
神職教養の部門ですね。

教科書は分かりやすい記述です。しかし、知識は得られても出典をじかに読んだわけではない。自ら理屈を追究したわけではないです。

祭式規定も、すでに決まった服装規定を覚えて、履行しているだけですから、制定の経緯や理論や出典を神職全てが理解しているわけではありません(当たり前です、、)

まさに神職としての教養の水準です。
もちろん神職としての教養として、実務における基本的な知識を有していることすら大変で素晴らしいことですが、

神道学など「学問」と看板を掲げている以上、自ら理屈を追究していかないといけないのです。

教養から理論構成を辿れるように成長し、自ら学説を説明し、取捨選択し、若者に教授できるようになる。
これが学問を修めるという事です。


などと偉そうな事を言っていますが有職故実は専門外ですからじっくりと原典にあたるのは江家次第や西宮記、本朝月令、延喜式など祭祀関係以外はあまりなく、まだまだ未熟ですので本日はとてもありがたい時間でした。



よくよく考えてみると、
平安時代の枕草子や源氏などの女房文学に衣冠や束帯の記事がありこれから情報を得る事ができるわけです。


本日は束帯や直衣などを詳しく史料を読みましたが、細かい知識はお話できませんが、
神職の現行の袴の色についてはなるほど、と思いました。


神職の頂点にたつともいえる大長老(失礼な言い方かもしれません💦)の先生は、紫に白紋の袴から、浄衣や斎服で纏う白袴にかわるのです。
もちろん、最高位の袴ですから全く材質も違い、紋もあります。

史料を読んでいると、どうも貴族の上位の方々は、年齢を重ねると白袴になるようです。
また、重要な儀式で白が使われたようです。

なるほど、、

ところが面白いのが
現行の若手神職と中堅神職の袴です。

今は若手が浅黄色。
中堅は紫。

くどいようですが、若手といってもこれは年齢ではなく、経験値です。

大粟神社宮司は年齢的には中堅ですが、
宮司就任2年目、神職としても皇学館で学びましたが、その後歴史教育の道へ進みましたので、神職としては「若手」です!


話をもどして、、

史料を読んでいると、公家は
10代の若手では「濃い」指貫の袴を着用したようです!つまり、紫です‼️

そして年齢があがるにつれて薄い紫になり、、

大粟神社宮司くらいの年齢になると(会社でいえば中間管理職ですね、、)
浅黄色になっていくようです‼️


有職故実的には私、
年齢相応のようです( ´ ▽ ` )



失礼しました、、。

何はともあれ、
浅黄色を若手の袴にしたのはまた別の論理があると言うわけですね。


ちなみに、正装の袍も史料を読んでいると
神職
最高位が黒というのは公家文化からきているようですし、
中堅以上が赤という(緋)のも公家文化由来かと思います。



狩衣についても、やはり昔はオシャレです。
昔も色の
規定はありませんが、
季節で、さまざまな色を選択していたようです。

現代の我々神職は昔の貴族のようにはいかないとは思いますが、
神さまへやご参拝される皆さまへの礼を尽くすためにも、このような教養を学問として修め、
幾分か祭祀に反映させたいと思います。


大粟神社では、
少しずつ装束を整えております。
狩衣についても有職故実をもとに、まさか何十着も用意はできませんが、美しいものを纏いたいと考えています。


我が女神さまは
光り輝く絶世の美女とたたえられる女神さまで、美容の女神さまでもありますので、宮司もしっかりしなくてはなりません。