大粟神社宮司です。

宮司は書家ではありません、、

叔母が高名な書家で、
小さい頃から「.習いにおいで」と
誘ってくれていましたが、

大人になってから書道を本格的に学ぶようになりました。

しばらく書からは離れていましたが、
宮司に就任し、
再び書道を勉強しているというのが現状です。


勉強方法は専ら臨書です。

西洋絵画のデッサンと油絵も若い頃に習いましたが、臨書はデッサンと似ています。

書き写すというのはいわゆる「書写」で、まずは形を正確に再現する練習。いわゆる形臨でしょうか。

デッサンも鉛筆や木炭で「写真ように」描くことは、練習を積み重ね、また時間をかけると意外にできます。

学生時代はそれこそ丸一日かけて石膏デッサンをした日もあります。

ただ、絵画にもクロッキーといって、人物デッサンでよくしますが、素早く対象を木炭を使って捉える練習をしました。

これは、
線が大切。

対象を把握していかに、確かな線がひけるかです。


絵を描いていると、展覧会でも画家のクロッキーに興味が湧いてきます。
無駄のない線、迷いない線というのはものすごく難しいのです。

書道の臨書もおそらくクロッキーと同じで形臨から意臨、背臨と進むのでしょう。


仕事柄、書道は不可欠で
毎晩臨書で稽古します。
お気に入りは、
九成宮と雁塔聖教序。

いわゆる楷書の古典中の古典。

ついつい書道は、行書や草書が
それっぽくみえるので、

楷書をおそろかにして行書ばかり書きがち、、

九成や雁塔は怖いんです。
下手なのがよくわかる!

ピアノでいえば毎日のハノン。バイオリンのカールフレッシュといえば音楽のみなさんは「あー」と共感していただけるかもしれません。


子どもの頃は、ハノンは大っ嫌い。さっさとブルグミュラーの楽しい曲がしたいわけです。

高校時代もさっさとソロ曲がしたいのですが、音階は大事だと、、。

いやだなあと思いましたが、
最近は忙しくてチェロもバイオリンもできていませんが、大人になると時間がない割には、練習では1時間以上カールフレッシュやセブシックをします。いや、それだけで終わる日もあります。


というわけで、書道も
九成や雁塔、そしていくつかのこれぞという楷書で稽古を終わるのが殆ど。



とはいえ、20代前半の頃は書道会で出させて頂きましたから、カッコいい顔真卿の行書にのめりこんでました。

今でも顔真卿は大好きです。
ただ、昔よりも年齢があがり意臨の精度が上がってきたとはおもいます。
精神性は文学を通らないと身につきません。



年末になり、少し書道の工具書を買い足しました。
中国から楷書大字典などをそろえました。

中国の出版物は院生時代より値段が上がっています。大字典は日本円で1万円を超えました。

日本でも高額字典ですが、中国ではなおさらかと。

中身は素晴らしい。


たくさん集字してあり、これは勉強になります。ただ、拼音(ぴんいん)索引をつけて欲しかったです。いや、せめて部首索引かな、、
総画索引しかないので少し勉強に時間ロスがあります。

あと、外国の本は日本の本とは違い、「雑な仕事」は覚悟してください。

院生時代は随分と落丁、ミスプリントなどで泣かされました。今回もやはりミスプリント。

日本の出版社は素晴らしいの一言です。

完璧な商品が市場に並び、消費者に届く日本の「当たり前」は当たり前だと思ってはいけません。


神社では、日常から書を書きます。

祝詞や社務日誌、切札や御朱印などは書道なくしては書けません。

近ごろは、
当社にも御朱印の問い合わせをいただきます。
大変ありがたいことです。

宮司は、
御朱印も社名を記す書だと思いますので、やはり美しい書を書きたいと思っています。


ですから派手な雰囲気を廃して、
シンプルな書に落ち着いてきました。

無駄を配した余白や渇で生じる空間や流れ。
黒と白、そして朱印。
この色と字のリズムで十分です。

たしかに
その日の朝拝の空気で、行書や草書になる日もありますが、基本はシンプルな楷書で社名を記しています。


宮司の書に対する考え方から、
月替りの御朱印をする予定も全くありませんが

毎月の月祭りで御朱印を受けてくださる崇敬者さまがいらっしゃいます。


毎月大神さまとご縁を結ぶ印に御朱印を受けてくださるという本来の在り方ではないかと思います。


大粟神社の御朱印は
今後も無駄を廃した極致を目指します。
派手さを廃した古典の美しさを学んでまいります。


こういったわけで、
お正月や月祭りなど多くの方がいらっしゃる時は書き置きも用意しますが、基本的に宮司が手書きで対応します。

幸いなことに
都心の神社さまのように、行列になるような混乱は経験したことはありません。

基本的な立場としては、1日の社務の中で宮司が神事などの社務を維持しながら対応できるだけの御朱印しかおうけできません。


また、しばらくは宮司不在の際は先代宮司が一部対応するのみの体制を維持します。

多くの神職さんが常駐している神社でもありません。
しかしながら、たくさん職員さんがいても、大粟神社の社号を背負い、大神さまに日々奉仕し、神々てあ対話する宮司や宮司に次ぐ覚悟と確信が無ければ、社号を御朱印として皆さまの参拝の証として書くことは上一宮大粟神社としては認めてはいけないと思っています。

大変「アナログ」で、

ご不便をお掛けしてしまいますが、
今しばらく復興期のありかたをご理解いただきますようお願いします。