これが最後だと分かっていたなら
先日のブログの最後にOAUの「夢の跡」のPVについてふれましたが、
ちょいと3.11を迎えるにあたってOAUのライブを通じても伝えたいこともございますので、昨年12月のOAUライブを少し振り返りながら、今回は書いてみようと思います。
OAUマネ 若松です
前回までの一ヵ月間もブログを書いていない間に、息子が立って走り始めました・・・( ̄□ ̄;)
え~~~、それでは早速。
まず、書いておきたいことの一つは
12/8 at 日本武道館
Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2011
ジョン・レノンの作った曲をそれぞれにアレンジして、アーティストの皆さんが入れ替わり立ち代りで
次々にステージが展開するライブイベント!
毎年、12月8日のジョンの命日に開催され、その収益で恵まれない国の子供たちのために学校を建てたり、今年は、グッズの売上を震災に遭った子供たちのために届けられます。
そんなイベントなのですが、
正直に言いまして、MARTINも冒頭のMCで言っておりましたが
名だたるミュージシャン、役者さんのなかにポツンっと
名も知られていないような
OAUみたいなバンドが出演しまして
場違いじゃないの?...(°Д°;≡°Д°;)
という、不安を胸いっぱいにステージへ

しかし、温かく迎えていただきまして、、、で、でも、とっても緊張気味(-。-;)
この日演奏したのは2曲
はじめは
『Across The Universe』
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.
何も僕の世界を変えようとはしていない
そう、自分は何にさえも変えることは出来ない
そして、MCを挟みます
TOSHI-LOWも謙虚なMCからでして
「あのぉ、本当にトイレとか行っていただいてて構わないんで
桑田佳祐、凄かったって、メールとか打っててもらって構わないんで。
ステージ裏で、オノ・ヨーコ見て
噂通り
本当に巨乳なんだなって思って
あの、ジョンもそういうとこ見てたのかなぁと思うと
同じ男としてちょっと親近感がわきます 」
け、謙虚なMCは入り口だけでした、、、
そして続けます
「3月から復興支援で、いろんな街に行かさしてもらって
電気のつかない真っ暗な街
焼け焦げて、油だらけで、腐った匂いのする街
見渡す限り全てが、無くなってしまった街
放射能に包まれて、誰もいなくなってしまった街
連日連夜、狂ったように襲ってくる震度5、6の余震の中で
高速道路はガタガタで、被災地に向かうのに使命感もありましたけど
やっぱり少し怖くて
そんな時は、カー・ステレオで自分の好きな音楽を大きくかけて
自分を励まして
想像しながら先に進んでて
もし、この人達が生きてたらなにしてくれるかなって
もし、この人達が生きてたら
日本に、東北に、福島に
今、どんな事言ってくれるんだろうって想像してて
多分、この人はこういうメッセージをしてくれるんだと思う 」
そしてポロンと、ゆっくりとしたワンストロークでギターを鳴らし
短かったけれど、とても濃かった時間の最後の曲が始まりました。
『(Just Like) Starting Over』
It'll be just like starting over.
Starting over.
まるでもう一度やり直すように
やり直そう
この歌は、人生を共にしてきた年老いた二人が、時が過ぎる度に昔の愛を失ってしまっている今を受け入れ、再び愛を始めるというもの
そのステージはまるで、
失われた愛する故郷にも始まる新しい日々を、また愛するように
尊い隣の命に始まる新しい日々の、一瞬一瞬をしっかりと愛するようにと
そして、最初のAcross The Universeのように
自分という存在は何にさえも変えることは出来ない、と
なにか、そういうメッセージとして届けているように思いました。
新しい日々を
自分の信じる道を失わず
そして、愛をする
自分は未熟だけれど
あの日以来、あの光景を目の当たりにして以来
僕の周りにあることは、次の瞬間には最後かもしれないから、出来るだけ能動的に”愛をする”
そうしたら、少しだけ幸せが増えているような気がしています
ありゃりゃ、またまた自分の恥ずかしい感想文ですが、ヘッポコジャーマネの戯れ言だと思って読んでやってくださいませませ!
もう少し、戯れ言も交えつつ続きますっ!
次に書きたいのは
12/30 at 幕張メッセ
COUNTDOWN JAPAN 11/12

MARTINはこう話します
「2011年はあともうちょっとですね
でも色々あったね
色々バレた
まぁ、政治家とかね、色々言うけどね
バレてしまうんだよね、嘘は。
んでまぁ、
TOSHI-LOWがおもしろいって事も、2011年でバレたんですけど... 」
そ、そうでした・・・
このブログでも、最初のほうはTOSHI-LOWのおもしろMCは伏せてたんだけど・・・
ええーい、では何でもバレているので、
次は、内緒って言ってたけど、、、
MARTINに続いてTOSHI-LOWの話したことは
「2011年いろんな事があって
まぁ、内緒なんだけど、先輩のバンドと喧嘩したり
まぁ、内緒なんだけど、フェスでダイブして怒られたり
まぁ、慣れない人助けとかそんなのもして
ちょっとマジで、疲れてんのかなって思って
とうとう、
内緒なんだけど
生えました
白髪が…
下の方の毛に
((( キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! )))
抜こうかな、どうしようかなって迷ってる間に
今日、さっき便所で見たらなくなってて
もし、その辺で落ちてる白いカール掛かった毛を見かけたら
みなと屋に持って来てくれたら
磯蔵っていうお酒一升瓶と替えますんで
よろしくお願いします 」
皆さん、ぜっっっっったいに内緒っす!!
すかす、もしも
下の白い毛を持ってきてもらえていたら
どうするつもりだったんだろう・・・(((・Θ・;)))
・・・考えると怖いので、、、次へ(;´▽`A``

東日本大震災が起こった2011年
最後のライブ
この年の復興支援にご協力いただいたことへの感謝
何回か話してるけどって前置きがあって
この数日前まで集めていたお餅を、この日も仲間たちが三陸沿岸沿いの街に配っていることにふれて
「幸せっちゅうのは分けたら増えてく
独り占めするとどんどん減ってくから
想像してみて
そのお菓子を子供たちが貰って喜んでんの
水貰って、放射能に怯える親子が安心してその水を飲んでんの
ほんで、餅
爺ちゃん、婆ちゃんが寒い薄い壁の仮設でそれを、食べてくれてる
そういうの思うだけでも、俺は幸せだなと思って 」
と、そう伝えました。
この幸せが増えた、そんな様子は、年が明けてご報告しました”小さな幸せの灯”の記事にございます。
読んでいただくことによって、また幸せが増える、といいなぁ。
それでは
2011年、TOSHI-LOWの最後の言葉です。
「2011年12月30日
死者は1万6000人
行方不明者3500人
身元の分からない遺体は640体
震災孤児、震災遺児は1800人
まだ2000を超えるかもしれないって言われてる
2012年、何が出来っかな
やろうとする事に遅いって思うことはねぇよ
もし、何か見かけた時、手伝ってもらえたら嬉しいなって思ってる
全ての人が、
格好つけて言ってるんじゃなくて、
今年ぐれぇ罵らねぇで
悲しみに寄り添って、手を添えて生きてもいいんじゃねぇか
って、思ってる
全ての現実
一人一人の現実
そう
そのあとに
夢の跡 」
そして、去年出来たのなら今年も。
未来に胸を張れるように
ただ、実行。
それは、できなかったから後悔するんじゃなくて
やらなかったことに後悔するものだと思うから
ただ、懸命に。
では今回のブログの最後にもう一つ
12/28 at 名古屋今池 HUCK FINN
HUCK FINN 30th ANNIVERSARY番外編
ここで、TOSHI-LOWが伝えたことについて
「東日本大震災が起こって
迎えに来てもらってない子供
お寺の住職も、まさかクリスマス過ぎまで
迎えが来ないとは、思ってなくて
福島県相馬市沖で見つかった、身長110cmの男の子
身長110cmっていえば、5歳位
そのお寺で”うちの子”って呼ばれてる、そのナンバー906番
遺骨に貼ってある番号
遺体906番
名前のないその子は
まだ、親のことを待っていて
その祭壇には、送られてきたお菓子や手紙やおもちゃが並んでいて... 」
そして、最後には
「一日も早い復興を願ってるし
さっきの遺体ナンバー906番の男の子に早く家族が迎えに来て
そんで、早く本当の名前で呼ばれる
そういう日を待ってます 」
と。
2012年1月25日

ツイートもいたしましたが
年を越え、震災から約10ヶ月後。
ようやく男の子のお迎えがいらっしゃいました。
突然の別れ
とてつもなく
数多くの突然の別れがありました
あの日
これが最後だと分かっていたなら
どんなに身体が痛くなるくらい抱きしめたでしょう
これが最後だと分かっていたなら
笑顔も怒った顔も、眠り顔も泣いた顔もつまらなそうな顔も、どんな表情だって、愛おしく目に焼き付けたでしょう
これが最後だと分かっていたなら
自分の命と引き換えに、生きて、生き延びてほしいと祈ったでしょう
だけど
それが訪れるのは
霹靂
そのことを、知りました。
次の瞬間が最後かもしれないから
ひとりひとりと、ひとつひとつを大切に大切に生きて
そんなことを思っています。
僕の書いていることは、言葉が下手だから伝えきれていないかもしれません。
人間が上等じゃないから間違っているかもしれません。
ただの主観的な思想を、取って付けて押し付けがましくしているだけなのかもしれません。
でも、3月11日の節目にあたって、馬鹿なりに、この一年を通して、そしてOAUのライブを通して、考えていることを一生懸命書きました。
あの日から一年後の、次の日曜日
BRAHMAN DVD Live & Document Films 霹靂 が出ます。
ここにも、この一年の様々な想いが詰まっています。
ご覧いただけたとき、このブログよりほんの少しでも、その想いが皆様の心の奥に伝わることができたなら幸いです。
霹靂 60secTRAILER MOVIE
今回もまとまらない長文にお付き合い頂きまして、ありがとうございました!!
ちょいと3.11を迎えるにあたってOAUのライブを通じても伝えたいこともございますので、昨年12月のOAUライブを少し振り返りながら、今回は書いてみようと思います。
OAUマネ 若松です
前回までの一ヵ月間もブログを書いていない間に、息子が立って走り始めました・・・( ̄□ ̄;)
え~~~、それでは早速。
まず、書いておきたいことの一つは
12/8 at 日本武道館
Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2011
ジョン・レノンの作った曲をそれぞれにアレンジして、アーティストの皆さんが入れ替わり立ち代りで
次々にステージが展開するライブイベント!
毎年、12月8日のジョンの命日に開催され、その収益で恵まれない国の子供たちのために学校を建てたり、今年は、グッズの売上を震災に遭った子供たちのために届けられます。
そんなイベントなのですが、
正直に言いまして、MARTINも冒頭のMCで言っておりましたが
名だたるミュージシャン、役者さんのなかにポツンっと
名も知られていないような
OAUみたいなバンドが出演しまして
場違いじゃないの?...(°Д°;≡°Д°;)
という、不安を胸いっぱいにステージへ

しかし、温かく迎えていただきまして、、、で、でも、とっても緊張気味(-。-;)
この日演奏したのは2曲
はじめは
『Across The Universe』
Nothing's gonna change my world,
Nothing's gonna change my world.
何も僕の世界を変えようとはしていない
そう、自分は何にさえも変えることは出来ない
そして、MCを挟みます
TOSHI-LOWも謙虚なMCからでして
「あのぉ、本当にトイレとか行っていただいてて構わないんで
桑田佳祐、凄かったって、メールとか打っててもらって構わないんで。
ステージ裏で、オノ・ヨーコ見て
噂通り
本当に巨乳なんだなって思って
あの、ジョンもそういうとこ見てたのかなぁと思うと
同じ男としてちょっと親近感がわきます 」
け、謙虚なMCは入り口だけでした、、、
そして続けます
「3月から復興支援で、いろんな街に行かさしてもらって
電気のつかない真っ暗な街
焼け焦げて、油だらけで、腐った匂いのする街
見渡す限り全てが、無くなってしまった街
放射能に包まれて、誰もいなくなってしまった街
連日連夜、狂ったように襲ってくる震度5、6の余震の中で
高速道路はガタガタで、被災地に向かうのに使命感もありましたけど
やっぱり少し怖くて
そんな時は、カー・ステレオで自分の好きな音楽を大きくかけて
自分を励まして
想像しながら先に進んでて
もし、この人達が生きてたらなにしてくれるかなって
もし、この人達が生きてたら
日本に、東北に、福島に
今、どんな事言ってくれるんだろうって想像してて
多分、この人はこういうメッセージをしてくれるんだと思う 」
そしてポロンと、ゆっくりとしたワンストロークでギターを鳴らし
短かったけれど、とても濃かった時間の最後の曲が始まりました。
『(Just Like) Starting Over』
It'll be just like starting over.
Starting over.
まるでもう一度やり直すように
やり直そう
この歌は、人生を共にしてきた年老いた二人が、時が過ぎる度に昔の愛を失ってしまっている今を受け入れ、再び愛を始めるというもの
そのステージはまるで、
失われた愛する故郷にも始まる新しい日々を、また愛するように
尊い隣の命に始まる新しい日々の、一瞬一瞬をしっかりと愛するようにと
そして、最初のAcross The Universeのように
自分という存在は何にさえも変えることは出来ない、と
なにか、そういうメッセージとして届けているように思いました。
新しい日々を
自分の信じる道を失わず
そして、愛をする
自分は未熟だけれど
あの日以来、あの光景を目の当たりにして以来
僕の周りにあることは、次の瞬間には最後かもしれないから、出来るだけ能動的に”愛をする”
そうしたら、少しだけ幸せが増えているような気がしています
ありゃりゃ、またまた自分の恥ずかしい感想文ですが、ヘッポコジャーマネの戯れ言だと思って読んでやってくださいませませ!
もう少し、戯れ言も交えつつ続きますっ!
次に書きたいのは
12/30 at 幕張メッセ
COUNTDOWN JAPAN 11/12

MARTINはこう話します
「2011年はあともうちょっとですね
でも色々あったね
色々バレた
まぁ、政治家とかね、色々言うけどね
バレてしまうんだよね、嘘は。
んでまぁ、
TOSHI-LOWがおもしろいって事も、2011年でバレたんですけど... 」
そ、そうでした・・・
このブログでも、最初のほうはTOSHI-LOWのおもしろMCは伏せてたんだけど・・・
ええーい、では何でもバレているので、
次は、内緒って言ってたけど、、、
MARTINに続いてTOSHI-LOWの話したことは
「2011年いろんな事があって
まぁ、内緒なんだけど、先輩のバンドと喧嘩したり
まぁ、内緒なんだけど、フェスでダイブして怒られたり
まぁ、慣れない人助けとかそんなのもして
ちょっとマジで、疲れてんのかなって思って
とうとう、
内緒なんだけど
生えました
白髪が…
下の方の毛に
((( キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! )))
抜こうかな、どうしようかなって迷ってる間に
今日、さっき便所で見たらなくなってて
もし、その辺で落ちてる白いカール掛かった毛を見かけたら
みなと屋に持って来てくれたら
磯蔵っていうお酒一升瓶と替えますんで
よろしくお願いします 」
皆さん、ぜっっっっったいに内緒っす!!
すかす、もしも
下の白い毛を持ってきてもらえていたら
どうするつもりだったんだろう・・・(((・Θ・;)))
・・・考えると怖いので、、、次へ(;´▽`A``

東日本大震災が起こった2011年
最後のライブ
この年の復興支援にご協力いただいたことへの感謝
何回か話してるけどって前置きがあって
この数日前まで集めていたお餅を、この日も仲間たちが三陸沿岸沿いの街に配っていることにふれて
「幸せっちゅうのは分けたら増えてく
独り占めするとどんどん減ってくから
想像してみて
そのお菓子を子供たちが貰って喜んでんの
水貰って、放射能に怯える親子が安心してその水を飲んでんの
ほんで、餅
爺ちゃん、婆ちゃんが寒い薄い壁の仮設でそれを、食べてくれてる
そういうの思うだけでも、俺は幸せだなと思って 」
と、そう伝えました。
この幸せが増えた、そんな様子は、年が明けてご報告しました”小さな幸せの灯”の記事にございます。
読んでいただくことによって、また幸せが増える、といいなぁ。
それでは
2011年、TOSHI-LOWの最後の言葉です。
「2011年12月30日
死者は1万6000人
行方不明者3500人
身元の分からない遺体は640体
震災孤児、震災遺児は1800人
まだ2000を超えるかもしれないって言われてる
2012年、何が出来っかな
やろうとする事に遅いって思うことはねぇよ
もし、何か見かけた時、手伝ってもらえたら嬉しいなって思ってる
全ての人が、
格好つけて言ってるんじゃなくて、
今年ぐれぇ罵らねぇで
悲しみに寄り添って、手を添えて生きてもいいんじゃねぇか
って、思ってる
全ての現実
一人一人の現実
そう
そのあとに
夢の跡 」
そして、去年出来たのなら今年も。
未来に胸を張れるように
ただ、実行。
それは、できなかったから後悔するんじゃなくて
やらなかったことに後悔するものだと思うから
ただ、懸命に。
では今回のブログの最後にもう一つ
12/28 at 名古屋今池 HUCK FINN
HUCK FINN 30th ANNIVERSARY番外編
ここで、TOSHI-LOWが伝えたことについて
「東日本大震災が起こって
迎えに来てもらってない子供
お寺の住職も、まさかクリスマス過ぎまで
迎えが来ないとは、思ってなくて
福島県相馬市沖で見つかった、身長110cmの男の子
身長110cmっていえば、5歳位
そのお寺で”うちの子”って呼ばれてる、そのナンバー906番
遺骨に貼ってある番号
遺体906番
名前のないその子は
まだ、親のことを待っていて
その祭壇には、送られてきたお菓子や手紙やおもちゃが並んでいて... 」
そして、最後には
「一日も早い復興を願ってるし
さっきの遺体ナンバー906番の男の子に早く家族が迎えに来て
そんで、早く本当の名前で呼ばれる
そういう日を待ってます 」
と。
2012年1月25日

ツイートもいたしましたが
年を越え、震災から約10ヶ月後。
ようやく男の子のお迎えがいらっしゃいました。
突然の別れ
とてつもなく
数多くの突然の別れがありました
あの日
これが最後だと分かっていたなら
どんなに身体が痛くなるくらい抱きしめたでしょう
これが最後だと分かっていたなら
笑顔も怒った顔も、眠り顔も泣いた顔もつまらなそうな顔も、どんな表情だって、愛おしく目に焼き付けたでしょう
これが最後だと分かっていたなら
自分の命と引き換えに、生きて、生き延びてほしいと祈ったでしょう
だけど
それが訪れるのは
霹靂
そのことを、知りました。
次の瞬間が最後かもしれないから
ひとりひとりと、ひとつひとつを大切に大切に生きて
そんなことを思っています。
僕の書いていることは、言葉が下手だから伝えきれていないかもしれません。
人間が上等じゃないから間違っているかもしれません。
ただの主観的な思想を、取って付けて押し付けがましくしているだけなのかもしれません。
でも、3月11日の節目にあたって、馬鹿なりに、この一年を通して、そしてOAUのライブを通して、考えていることを一生懸命書きました。
あの日から一年後の、次の日曜日
BRAHMAN DVD Live & Document Films 霹靂 が出ます。
ここにも、この一年の様々な想いが詰まっています。
ご覧いただけたとき、このブログよりほんの少しでも、その想いが皆様の心の奥に伝わることができたなら幸いです。
霹靂 60secTRAILER MOVIE
今回もまとまらない長文にお付き合い頂きまして、ありがとうございました!!