マーケティングとは何か?私はマーケティングとは人を幸せにする為にあるものだと考えます。今まではマーケティングというのはただ商品をいかに多くの消費者に購入させるのかということが目的としてあったように感じます。しかし、これから先はもうこのような「売りつける」「利益最優先」という価値観は通用しなくなるような気がします。

これからのマーケティングに求められるのはいかに生活者をハッピーにさせる「体験」を創造することにあると思います。というのも人が最も最高潮に幸せを感じている時、楽しんでいる時というのは5感全てを使った「経験」をしている時ではないでしょうか。その時にこそ初めて生活者は心を開き、そのような素晴らしい経験をさせてくれたモノ・コトに対して深い関係を築いていこうと歩み寄るのではないでしょうか。

従って、広告という分野においてもこの発想、視点が重要な気がします。今までの広告はいかに生活者の注目を得られるかの為にインパクト重視の広告が打たれてきました。しかし、これからは如何にリアルな経験をさせることができるかということが最もコアな部分になってくると感じます。

勿論、そもそも広告というのは認知・理解だけが目的としてあるわけなのだから、これまで通りそしてこれからも依然として大きな情報伝達力のあるTVCMのような広告が一番効果的なのかもしれないと考える人がいるかもしれません。

しかし、広告というのはCMだけではありません。SNSを使ったネットメディアの役割も今後ますます大きくなっていくであろうといわれています。そして、私が最も注目しているのが体験型広告であるプロジェクトマッピング、ゲーミフィケーションといったイベント型広告が大きな役割を担っていくのではないかと期待しています。

また、広告だけでなく、全てのモノ・コト・サービスといったありとあらゆるものが5感を使った経験に基づいた演出が用いられるようになれば今よりもずっと人々は豊かな暮らしを送る事ができ、ハッピーになることができるのではないかと考えます。

一般的に「コミュニケーション」という時、意思疎通や「伝達」ということに注目しがちでそのように認識されていると思います。しかし、元々のcommunicateの元々の意味は「共有」にあります。つまり、お互いがある情報を「伝達」するだけでなく「共有」できて初めて コミニュケーションが成立するのです。

一般的にコミュニケーション研究ではコミュニケーションというのを3つに分けることができるそうです。一つは「説得達成型」これはおそらくあくまで自分の見解ですが、マスコミュニケーションに見られる一方
向的なコミュニケーションのことを言っているのだと思います。

二つ目は「リアリティ形成型」といわれるもので、人がある情報を「理解」する時というのはあくまで他者との関わり関係性を持つ中で初めて理解するということだと思います。

三つ目は「情報環境形成型」といわれるもので、これは良く分からないので省略します。

これら3つがコミュニケーションの形でいづれかによって普段私たちはコミュニケーションという行為を無意識の内にやっています。

以上のことから、二つ目に挙げた「リアリティ形成型」のコミュニケーションは今日最も注目すべき点だと思います。最初にいったようにコミュニケーションというのは「共有」、「共感」できて初めて成り立つものなのです。また、今日のような情報過多の時代で生活者が情報を自ら取捨選択し能動的な姿勢で情報と向き合っている時代です。ブログやSNSのように今ではもう殆どの人が情報というものを「発信」することができます。そこにはもう「受け手」と「送り手」の明確な立場はなくなりつつあります。

従って、ある「情報」を人々に伝えようと思った時にこの「共有」ということがとても重要になります。ではこの「共有」をするにはどうしたらいいのでしょうか?

それはどれだけ「他者」という存在を理解することができるかだと思います。相手がどんな事を感じ、思い、考えているのか。それが理解できれば自分の伝えたい「情報」というものをうまく相手のコンテクストの中に溶け込ませる為に工夫して変容させることができ、牽いては「共有」できるのではないでしょうか?
明けましておめでとうございます。2012年初めてのブログです。
今年は伊勢神宮に初詣に行きました。とにかく人が多くてビックリしました。そして、今日書かせて頂くテーマは「貧困の象徴」です。このテーマは以前から僕が思っていたことと非常にリンクしている面があったので書こうと思いました。

「象徴の貧困」とはなんぞや?と思った方が多いと思います。僕も最初に見た時はなんのことかさっぱりわかりませんでした。

この象徴の貧困はフランスの哲学者ベルナール・スティグレールが使い始めた言葉でして、現代社会は情報が溢れ、そのことによってより人々は一元的な考え方しかできずに想像力が貧しく、みんな同じようなものになり均質化、没個人化が横行していることを意味します。

なぜ情報過多であるとそのようなことが起きるのでしょうか?情報過多とは即ち私たちが処理できる許容範囲を超えている状態を指します。その為、キャパシティを超えているため私たちは自己防衛手段として情報のバリアを張ります。このバリアによって自分に有益な情報にしか興味を示さず、考え方がとても狭くなってしまいがちになります。その結果として、現代の人々は似たような考え方、同じような性格の人が多くなり没個性化が起こっているのでしょう。

象徴的貧困とは現代社会の負の産物というわけです。象徴の貧困では人は物事を一面的に考えがちです。そして、ありとあらゆるものが均質化し町中がコピーで溢れかえります。つまり、成熟社会の宿命でもあるわけです。高度経済成長のころの人々は希望に溢れていました。それはまだ日本にたくさんの多様性があったからで、皮肉なことに高度経済成長が終わると今度はその事により逆に均質化をもたらしてしまい、日本の町並みや人々の考え方はどれも均質化してしまいました。

象徴的貧困の時代、つまり今はハイパーインダストリアルの時代といわれています。日本はすでに工業化を遂げてしまいました。これがハイパーインダストリアルな時代です。この象徴的貧困の提唱者であるスティグレールはこの時代を支配しているのは人々の行動、感情を支配する「マーケティング」だといっています。

今日の我々の価値は「消費」「お金」というものから生じる貨幣価値が根本にあります。貨幣価値が今の所ですがまだ中心にあるようです。貨幣価値つまり、お金を稼ぐこと、経済が成長しお金持ちになることで人々の生活は豊かになり、それを目指し今日まで日本は頑張ってきました。しかし、人々の幸福度はOECD加盟国の中で極めて低い位置にあります。そして、自殺者数は先進国の中で2番目に高いのです。GDPが高ければ幸福になれるというのはウソであるというのはもう既に皆さんご周知のとおりだと思います。

この原因は多くあり、一概にはいえませんが前述したように人々を動かすマーケティングのやり方に問題があったからと考える事ができます。今の私たちの暮らしは「消費」ということから逃れることは一生出来ません。それくらいの影響力をマーケティングというのは持っています。故にマーケティングのやり方一つでつまり、マーケティングとは企業活動ですが企業の考え方一つで人々の暮らし、社会に与える影響力は計り知れないのです。企業の考え方次第では社会は色んな意味で豊かにも貧しくもなり得ます。

これまでの日本のマーケティングは大きく分けて3つの時代に分けることができます。まず、戦後直ぐの60年代の頃は日本の製品は中国の製品のように「安かろう悪かろうの時代」でした。しかし、その内に品質が上がる様になり次の時代に進みます。これが企業側発想の時代です。良いもの、企業が創りたいものを売れば売れる「企業優位の時代」です。この時は企業は消費者より上の立場にありました。しかし、それもつかの間にあっという間に立場は逆転してしまいます。これが「お客様至上主義の時代」です。そして、その流れは今日まで続いています。消費者が一番偉くて、彼らのニーズこそが成功の秘訣であるわけです。そして、昔と今に変わらず共通しているのが「利益」こそが一番の目的であるというところです。

最近になってようやく社会貢献を叫ぶ企業が増えましたが、これも結局は今の企業にとってあくまで何かの手段でしかないように感じられます。

「応援したくなる企業の時代」という本でかかれている通りこれからのマーケティングのあり方というのは「企業発想」でもなく「お客さま至上主義」でもない「共創の時代」だということです。生活者と同じ目線ににたって、一緒に企業活動をやっていく姿勢が必要であると思います。貧困の象徴が起きたのも「企業」と「消費者」という枠組みの中でマーケティングをやっていたからだともいえます。どちら側に立ったとしても基本的には同じようなことで、そこからは出てくるものは結局は「利益」がどれだけ得られるか?というゴールしかありません。その結果として、効率化が最優先され本当に良いもの「本物」がなくなりコピーしやすいものしか市場に出さなくなります。そして、それは直ぐに捨てられまた新しいモノを企業は次々に出さなくてはならなくなります。その結果、町にモノが溢れかえり情報が溢れかえり「象徴の貧困」をさらに引き起こしているというスパイラルからずっと抜け出せない状況にあると思います。

故に、企業が「利益」をゴールとする限りそもそも人々は幸福になれることは一生ないのではないでしょうか?勿論、企業は「利益」を出さなくては活動する事はできないのは当たり前のことです。しかし、これからの時代は本当の意味で企業に求められているのはいかに「幸せ」を人々に感じさせることができるかだと感じます。

その為には、生活者と同じ目線になり、共に創り上げる視点を持つ必要があります。そうする事で自ずとやるべきことが見えてくるのではないでしょうか?つまり、生活者の真のニーズがみえるのではないでしょうか?

それは、おそらく質の高いモノへの欲求だといえます。つまり本物への憧れであり、そしてアップルの様にその製品がもつスピリッツが求められていると感じます。

従って、企業がやるべきことはただひとつ「生活者の幸せづくり」なのだと思います。象徴の貧困を生み出さない為にも、多様性を目指すべく、企業は独自の個性を出す為に「志」を持ち続けより質の高い価値を社会に生み出していかなければ生き残ることはこれからの時代難しいのではないでしょうか?