(その9からの続き)
-公津の杜(12:27着)-
宗吾車両基地を横目に宗吾参道駅に立ち寄り、宗吾霊堂へ向かっています。
宗吾霊堂に着きました。
「宗吾霊堂」というのは通称で、正式名称は「鳴鐘山東勝寺」。
成田山新勝寺の名前の由来になったともいわれる、歴史あるお寺です。
「宗吾霊堂」という通称は、
義民として知られる佐倉惣五郎が祀られていることに由来します。
実は、佐倉惣五郎という名前こそ聞けど、どういう人だったのかよく知りませんでした。
佐倉藩の窮状を将軍に直訴して藩の住民を救ったものの、
自身は親族共々処刑されてしまったという話が有名とのことですが、
このエピソードには不明瞭な部分があるそうで。
大山門をくぐって、大本堂へ向かいます。
そして、こちらが大本堂。
宗吾霊堂と新勝寺を結ぶ鉄道があったくらい重要なお寺のはずですが、
こちらはひっそりとしています。
参道の店も半分以上閉まっていたし…
コロナ真っ最中の平日だから、余計に少ないのかな。
国道464号に入って、東へ進みました。
ちょうど12時となり、背後の宗吾霊堂から鐘の音が聞こえてきました。
きっちり30秒間隔で鳴ってた。
このあたりにはかつて、
新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ成宗(せいそう)電気軌道が走っていました。
この道路に沿っているのかと思ったのですが、
空中写真を見る限り、国道よりも直線的なルートで宗吾霊堂の南へ向かっていたようです。
国道を道なりに進むと、周囲が開けました。
奥に見えるのは公津の杜(こうづのもり)の住宅地。
ここから先、成宗電気軌道はこの国道に沿うように走っていたようです。
上写真の右手に見える公園に立ち寄ってみたかったのですが、
なかなか入口が見つからず、東端まで進んでようやく入口を発見。
ちょっと寄り道してみました。
…この雰囲気、
貯水池と兼用しているのかな?
公津の杜の住宅地に入りました。
1990年頃から区画整理が始まった新しい住宅地です。
杜と森は読みだけで無く、意味も似ているのですが、
「杜」の字を使っているところは、あまり森っぽい感じはしないような。
左に見える建物は国際医療福祉大学。
…最近やたらとこの大学の名前を聞きますよね。
公津の杜駅に着きました。
1994年4月開業で、京成本線の駅では最も新しい駅です。
ホームは2面2線の相対式。
成田寄りの半分はトンネルの中です。
ホームの屋根に幕を使っているのが特徴。
今ではこういう造りの駅をちらほら見かけますが、
当時はかなり斬新で、関東の駅百選に選ばれたのもこれが理由とか。
ちょうど昼食時間になったので、
駅前のユアエルムの中にあったサイゼリヤで昼食。
このときは千葉県も感染爆発の真っ最中。
毎日千人以上の感染者数をたたき出していたので
レストランでの昼食は少々怖いところもありました。
とはいえ、33℃越えの猛暑の中を何時間も歩いているので、
クールダウンする場所が無いと、別の形で病院行きになりかねません。
しかも、そっちの方が明らかに可能性が高い。
マスク昼食を心がけて、
しっかりクールダウンしました。
(その11へ続く)
宗吾参道駅先から公津の杜駅先までのGPSログ(1/22,500)です。
宗吾霊堂は左端のログ線が突き出ている場所にあります。