上越線全駅間歩き5(越後中里-長岡) その9・小千谷の酒の代わりに… | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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その8からの続き

 

-小千谷(10:30発)-越後滝谷(14:06着)-

 

 

小千谷駅に着きました。

平屋建てながら、立派な駅舎です。

 

 

 

ホームは2面2線ですが、かつては2面3線だったようです。

1番ホームの長岡寄りには、切り欠きホームの跡もあります。

 

次の越後滝谷駅までの駅間は今回最長です。

小千谷市街地へ寄り道するので、歩行距離は10kmを越えそうです。

途中で昼食にするつもりですが、何食べようかな…。

 

 

 

まずは駅から西に進んで、中心市街地へ向かいました。

駅前から中心市街地に向かって、アーケードの商店街が続いています。

 

いつの間にか空が晴れていますが、

休憩している間に晴れたわけで、別の日に撮ったわけではありません(笑)。

晴れるときは、あっという間に晴れるものですね。

 

 

 

まもなく信濃川を渡りました。

 

小千谷の由来は、「(川が)落ち合う場所」といわれています。

江戸前期までは対岸の川岸付近に市街地があったそうですが、

江戸中期に河岸段丘の上に市街地を移転したそうです。

 

 

 

先ほどまで空を覆っていた雲が、東へ抜けようとしています。

 

魚野川も結構広いと思いましたが、

信濃川はもっと広いですね。

 

 

 

このあたりが小千谷の中心市街地です。

背の高い建物があるわけではありませんが、

六日町や小出よりも大きな街であることは分かります。

 

 

 

中心市街地近くの酒蔵が開放されていましたが、

立ち寄っていると時間が読めなくなりそうだったので、スルーしちゃいました。

 

でも、新潟県は酒で有名だもんなぁ…。

やっぱりおしいことしたかなぁ。

 

 

 

駅前から歩いてきた国道を右折し、

県道を北方向に進みました。

 

 

 

県道をしばらく歩くと、こんな場所に出ました。

だだっ広い空き地に、郵便局の建物がぽつんと建っていました。

 

ここはいったい何なのでしょうか?

 

 

 

実はここ、国鉄魚沼線の西小千谷駅跡なんです。

現在は緑道公園として整備され、当時のホームが残されています。

 

 

魚沼線は上越線よりも早い1910年に軽便鉄道として開業し、

信越線の来迎寺駅と小千谷市街を結んでいました。

開業当時は全国の私鉄線で2番目の収益を上げるほど順調でしたが、

長岡へ向かうにも来迎寺駅での乗り換えが必要だったために、

長岡方面、後には上野駅まで乗り換え無しで移動できる

上越線が開業してからは経営が急速に悪化したそうです。

 

西小千谷駅は1954年にこの場所に移動しましたが、

利用者の減少は止まらず、1984年に全線廃止となりました。

現在の小千谷駅よりも小千谷市街に近い場所にあるのですが、

盲腸線だったのが仇となったようです。

 

 

 

県道をさらに北へ進みました。

 

 

さて、そろそろ昼食の時間です。

最初はそこら辺のロードサイド店で適当に食べようと思っていましたが、

酒蔵をパスした以上、やっぱり名物食べなきゃいかんかなぁと思い始めました。

 

そのとき、ある看板が目にとまりました。

そして、向かったのがこちら。

 

 

 

越後は酒だけじゃなくて、へぎそばでも有名。

ならば蕎麦屋で昼食にしようというわけ。

 

でも、偶然飛び込んだ店が有名店だったようで、

すでに15組ほどが順番待ちの名簿に連なっていました。

いくら余裕があるといっても、時間が無尽蔵にあるわけではありません。

諦めようかとも思いましたが、ここで食べなきゃ名物を食べずじまいになると思い、

時間を気にしながらも、順番を待つことにしました。

 

 

 

40分ほど待って、ようやくへぎそばにありつけました。

小千谷では、小千谷縮に使われた「ふのり」が

そのまま蕎麦造りにも活かされたんだとか。

 

やっぱり、へぎそばは2人前以上じゃないと形にならないなぁ…。

2人前注文しとけば良かった。

 

 

 

結局、待ち時間も含めて昼食に1時間以上使いました。

予想以上に時間を使ってしまったけど、ちゃんとゴールできるかな。

 

 

ともかく、

市街地を迂回するように走る国道を長岡方面に進みました。

 

 

 

このあたりの道路は最近できたようです。

これが歩道なのかよく分かりません。

 

 

 

国道が信濃川沿いを走るようになったので、堤防に登ってみました。

 

 

 

堤防をまっすぐ歩いたのですが、

肝心の川がなかなか見えませんでした。

 

 

 

再び堤防を下り、市道へ。

小千谷大橋を渡る国道17号をアンダークロスしました。

 

 

 

市道はまもなく県道に突き当たりました。

右手に信濃川が見えました。

 

 

 

県道に合流しました。

旧三国街道は対岸を通っていますが、

こちらも古くから集落が形成されていたような雰囲気です。

 

 

 

集落は県道に沿って細長く続いていました。

 

 

 

周囲が開けると、信濃川の妙見堰が見えてきました。

 

 

 

妙見堰は信濃川の水位とJR小千谷発電所の調整を図るべく、

1990年に完成した可動堰です。

 

 

堰の下流側には国道「越の大橋」が、

上流側には立派な歩道が設けられています。

 

 

 

堰の両側には魚道も設けられています。

狭い方がサケ・マス用で、広い方がアユ用なんだそうです。

狭い魚道は流れが多少速く、広い魚道は緩やかなんだそうですが、

魚はそういった使い分けをしているのでしょうか。

 

 

 

信濃川を渡り、三国街道に復帰しました。

国道はここから片側2車線です。

 

 

 

 

まもなく国道を外れて、宿場町のある旧道に入りました。

このあたりには、妙見宿と六日市宿という2つの宿場があったそうですが、

両者は連続しており、写真はそのうちの六日市宿にあたります。

 

他サイトの説明を読んでいると、

左奥の三角屋根の家あたりに六日市宿の本陣があったそうです。

 

 

ちなみに、「六日市」と「六日町(南魚沼市)」の間に直接的な関係はありません。

地名の由来が似ているだけのようです。

 

 

 

かつては、この小川が宿場の入口だったのでしょうか。

 

 

 

いったん国道に復帰しましたが、

再び三国街道と一緒に国道を外れました。

 

 

 

踏切を渡って、滝谷の集落に入りました。

 

 

 

駅前通りにさしかかりました。

 

かつては商店街だったのかもしれませんが、

今は静かな住宅地です。

 

 

上越線全駅間歩きもいよいよ大詰めです。

 

 

最終回へ続く

 

 

小千谷駅から妙見・六日市集落までのGPSログ(1/60,000)です。

旧三国街道は信濃川の右岸を通り、小千谷市街地は素通りしていました。

 

西小千谷駅は小千谷市役所のすぐ西にあたる場所にありました。

市街地に近くても、それ以外の場所に行くのに不便だと、

やはり利用されなくなるものなんですね。