本当の生きる意味ってなんだろう??
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映画 象の背中 の感想です。

象は自らの死を悟ると
群れから離れて死に場所を探すという・・・
役所 広司主演
建設会社の部長を務める 主人公 藤山 は
健診で突然 肺がん
余命半年を告げられる。
延命の治療をこばみ
最後まで「普通生きる」 ことを
決意し、
これまでの人生で出会った人たちに
自分が癌であることを告げて回る
主治医との会話
医者 自分探しですか?
藤山 いえ、自分はここにいる
わすれものをしてもう一度
確かめる感覚ですね
初恋の人
ケンカ別れした野球部の親友
倒産に追いやってしまった子会社の元社長
12年 音信を絶っていた兄
友人 お前 昔からライン引きが得意だったな
藤山 まっすぐ引こうとしたらだめなんだ
目標を決めてまっすぐ
そこに向かっていけばいいんだ
兄ちゃん おれ本当は 死ぬの怖い
誰にも怖いことがいえないんだ
子供のころから 弱虫だったから
本当に怖い
そして、晴れた海岸で
妻と息子と娘が付き添う中
藤山は 力尽きるのである。
最後に
像はなぜ 自らの死を悟ると群れから離れるのだろう
そんな孤独の中で死んでいく
おれにはできない
愛する者にみおくられたい
藤山
【ここからおかもん】
この映画は とても美しく
死に向かう 一人の男性の 家族愛を描いています。
この映画からは 人間にとって
もっとも大きな満足感 は
周りから必要とされていたことを知ること
家族から愛されていることを確かめることができたこと
である ということが知らされます。
しかし、映画を見た人の中には
なんだか キレイすぎる という
感想も少なくないようでした。
死んでいくときは
どんな愛する者たちとも別れて
いかれていかなければならないのです。
愛していればいるほど 別れは苦しくなります。
これを 愛別離苦 といいます。
仏典 雑阿含経 に お釈迦様 は こんなことを教えられています。
◎三人の妻
昔、ある金持ちの男が三人の妻を持って楽しんでいた。
一号夫人を最も可愛がって、寒いといっては労わり、暑いといっては心配し、
ゼイタクの限りを尽くさせ一度も機嫌を損うことはなかった。
二号夫人は、それ程ではなかったが種々苦労して、他人と争ってまで手に入れたので、何時も自分の側において快しんでいた。
三号夫人は、何か淋しい時や、悲しい時や、困った時だけ逢って楽しむ程度であった。
ところが稍て、その男が不治の病床に臥すようになった。刻々と迫りくる死の影に怖れおのゝいた彼は、一号夫人を呼んで心中の淋しさを訴え、是非死出の旅路の同道を頼んだ。
ところが「外のことゝは違って、死の道連れだけは、お受けすることはできません」と、すげない返事に、男は絶望の渕に突き落とされた。
しかし、淋しさに耐えられぬ男は、恥を忍んで二号夫人に頼んでみようと思った。
「貴方があれ程、可愛がっていた一号さんでさえ、
イヤと仰言ったじゃありませんか。
私も真平ごめんでございます。
貴方が私を求められたのは、貴方の勝手です。
私から頼んだのではありません」
案の定、二号夫人の返事も冷たいものであった。
男は、おそるおそる三号夫人に縋ってみた。
「日頃の御恩は、決して忘れてはいませんから、
村はずれまで同道させて頂きましょう。
しかし、その後はどうか、堪忍して下さい」
と突き放されてしまった。
これは『雑阿含経』に説かれている有名な話であるが、
男というのは我々人間のことである。
一号夫人は肉体、
二号夫人は金銀財宝、
三号夫人は父母妻子兄弟朋友等を
喩えられたものである。
私は時々、悲惨な臨終説法を依頼されることがある。た
またま不治の病を自覚していざ後生と踏み出すと、
魂は真暗な未来に泣くのである。
今まで命にかえて、大事に愛し求めてきた一切のものか
ら見放され、何一つあて力になるものがなかったことに、
驚き悲しむのである。 ・・・・・・・・・
高森 顕徹先生 白道燃ゆ より 引用 http://www.takamori.info/book/index.html
死を前にしても なお 崩れない 幸福は あるのでしょうか?
親鸞聖人は ある と断言されています。
「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法 聞思して 遅慮することなかれ」
親鸞聖人