納棺夫日記 と 親鸞聖人  死んだらどうなるのでしょうか?? | 岡本一志 幸せのタネまき日記

岡本一志 幸せのタネまき日記

23万部突破のベストセラー
幸せのタネをまくと幸せの花が咲くの
著書 岡本一志 のブログです

ほんとうの幸せってなんだろう??

本当の生きる意味ってなんだろう??

東大数学科から仏教の布教使に転身した

おかもんの大人気 メルマガ 

目からウロコの東洋哲学!!

登録は簡単 ↓に今すぐ空メール

M0083405@r.mini.mag2.com

定本 納棺夫日記 P74から 






ゴーギャンの絵に「我々はどこからきたか 我々とは何か、我々はどこへ行くのか」



 という長い題の作品がある。



タヒチでの大作である。





「我々とは何か」は哲学者に任せておくとしても



「我々はどこに行くのか」は葬送の現場では大いに



関わってくるのである。



  

   中略





こうした葬送儀礼や風習がはびこるのも、元はといえば



「我々はどこから来て、我々は何で、我々はどこに行くのか」があいまいだからである。









<おかもん>



私はなにもので、どこからきてどこにいくのだろうか?



これが人間にとって最大の問題ではないでしょうか?





人は死ねばどうなるのか??



死んだらどうなるか分らない心を



仏教で後生くらい心という。



後生(死後)がハッキリしない心ということ





この後生くらい心が私たちの根本の苦悩といわれる。



そしてこの後生くらい心の解決こそが、仏教の目的なのです。



今から約800年前 お生まれになられた親鸞聖人も



まさしく、この後生くらい心一つ解決したいと



わずか、9歳で天台宗比叡山に出家されています。









4歳で父

8歳でお母さんをなくした







親鸞聖人・・幼名 松若丸









松若丸は





 お父さんは一体 どこに行ったんだろう?







 お母さんは一体 どこへ行ったんだろう?







 次に死んでいくのは自分の番だ







 私は死ねばどこに行くのだろう??







 何のためにこの世に生まれて







 何のために生きて、死んでいくのだろう??







 100% 確実な 後生 どうなるかハッキリさせたい





 

 と







 くらい後生におどろいた松若丸は



 



 わずか、9歳で



 



 天台宗 比叡山に出家を決意したのです。



 



 叔父 藤原範綱 に手を引かれて

  

 比叡山の 青連院 の扉をたたいたのです。



 



天台宗の座主 慈鎮は







 「わずか9歳で出家とはそなた尊いことじゃ







  そなたならば、きっと立派な僧侶になれるぞ」





範綱 







 「ありがとうございます。それでは、出家得度をお聞き届けいただけるのですか」





慈鎮







 「よいよい 明日、出家得度の式をあげよう」





  すると







松若丸・・きっと 唇を一文字に噛み、







  「叔父様、紙と筆を・・」







範綱・・「これ 松若丸!」







慈鎮・・「よいよい」







 松若丸・・スラスラと一首のうたを書き付ける。







 「これを慈鎮様に・・」







 範綱・・おそれながら、慈鎮に渡す。







慈鎮







  ハット 眼を見開く 声が出なかった・・・





   
明日ありと思う心の仇桜



      夜半に嵐の吹かぬものかわ









 松若丸







  今を盛りと咲く花も一陣の嵐で散ってしまいます。







  人の命はそれよりもはかないものと聞いております。







  明日とはいわず、今日、出家得度の式を挙げてください。









 慈鎮







  ・・・・・・・・







  そなた、そこまで無常を観じておられたとな・・・







  わかった、早速、出家得度の式をあげるぞ・・













 親鸞聖人の







  仏道修行が始まったのでした。