「宗教的なものを形づくっている第二の源泉は社会的な感情である。
指導保護を求める欲求は、社会的ないしは倫理的な神の概念の形成を促す。
それは守護し、裁定し信賞必罰を司る摂理の神である。」
昨日の続きです。
世の中は、基本的には弱肉強食です。
これは人間社会においてもそうでしょう。
特に、人権平等が法の上で確立されていなかった
時代は、民族、宗教、地域、階級、仕事、血統などによる差別
迫害は著しいものであったに違いありません。
もちろん、現代にもおなじ問題はあります。
そういう社会に於いて、求められるものはなにか
それは、自分たちを護ってくれる絶対的な存在
また、平等に自分を扱ってくれる絶対的な存在です。
また、不当に自分たちを迫害するものたちを懲らしめ
まじめに、やっているものを助けてくれる
絶対的な存在です。
「ユダヤ民族の聖書には、恐れの宗教から倫理的宗教への発展が見事に
活写されており、それは新約聖書に受け継がれている」
とアインシュタインはいっています。
人間の社会が高度になってくるにつれて
その宗教が、倫理的な宗教になる度合いが強まってくるといっていますが、
「確かに社会生活の高度な段階では倫理の宗教が支配的で
あるという程度のことはあっても、
すべての宗教はむしろ両者の混合型になっている」
といっていますね。