偶然とは無知の代名詞!! | 岡本一志 幸せのタネまき日記

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仏教では


どんな結果にも必ず原因がある

原因なしにおきる結果は万に一つ億に一つ

絶対にない・・と教えるのが仏教です。


これについて、mixiやgreeに

こんなコメントを頂きました (*^_^*)


ゆろぞうさんから

初めてコメントさせていただきます。

因果について説かれている、ということは、

仏教も科学なのだなと思いました。

原因があるから結果があり、その結果になりうる原因を探り、

道を見いだすことは科学であると言えるのではないでしょうか。



万年筆さんから

なるほど (>_<) 納得

の結果と原因ですね

たしかに そーですね

納得


★どんな結果にも必ず原因があるということは

仏教だけでなく、科学、医学、あらゆる学問の

大前提です。医学なら病気になった原因を突き止めて

それを直すのが目的です。


原因不明ということはあっても

原因無しに病気になることはないですよね。


物理でも化学でも物質や運動が何でそうなったのか?

この原因を探求する学問です。


原因なしにおきる結果があるということを認めたら


学問は成り立ちません。

なんでこうなったの?


原因はありません!!!これで終わってしまうからです。


それは「偶然だ、たまたまだ」という人がいますが

偶然とはどういうことなのでしょうか?

たまたまとはなにを指しているのでしょう。


「それは原因無しにおきたんだよ」ということでしょうか?


それだと、原因なしにおきる結果があると言うことになってしまいます。



私たちは「原因が分からない」ということを

「偶然、たまたま」で片付けているのでないでしょうか??



原因が分からない(原因不明)ことを偶然(原因がない)という

一言でかたづけて、それ以上、考えること(原因を追及)をやめてしまっていることが

多いのではないかと思います。


それでは進歩も学びもありません。



「この世のことはどんな小さな結果にも必ずそれ相当の原因があるのだよ」

この因果の道理に照らして、日常おこることを見つめ直したら

新たな発見があると思います!!


仏教はそういうことを根底においているのです。


【編集こーき】


ちょっと抽象的なことになってしまいましたが

ここは大事なところですね。

「原因なしに生きる結果は絶対にない」

これはみなさん、改めて考えてみてほしいと思います。


ちなみに

万年筆さんからのコメント

なるほど (>_<) 納得

の結果と原因ですね

たしかに そーですね

納得


枝豆から大豆、大豆から納得(納豆食う)

これも因果ですね(;^_^A